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2008年1月28日 (月)

年賀状の見直し

会社勤めをしなくなってもう数年経ち、年賀状をいただくのはだいたい個人的な関係の方ばかりになったが、それでもまだ、毎年120~130枚にはなる。で、ほとんどが例の“お年玉つき年賀状”なので、どうせ末等の切手シールくらいしか当るわけはないとわかっていても、抽選日には一応チェックする。
特に今年は、“もしかしたら”という根拠のない期待があって、密かに抽選日を心待ちにしていた。実は昨年末に、顧問をしている会社のイヤーエンド・パーティーでビンゴの賞品としてiPod Shuffleが当り、籤運の弱い自分にも、いよいよ遅咲きの運が巡ってきたかと気を良くしていたからだ。例年だと当選番号の発表は成人の日なので、今年もてっきりそうと思い込んでいたら、なぜかそれが27日ということになっていて、いささかじらされた。家内の行きつけの美容院でも、奥様方がみんな、そのことで憤慨していたそうな。

結果は...やっぱり人生はそう甘くない。1等とは言わないから、たまには、せめて3等ぐらいでも当れば大喜びなのだが、今年も、その辺はカスリもせず、切手シールが1枚だけ。後で無常感を味わわないで済むように、“まさか当っていないよナ...”と最初から自己否定しつつチェックするのだが、その通りになればなったで軽く失望。
でも、よく考えてみるとどの賞品も、欲しいのに今までどうしても手に入らなかったとか、それが賞品であることを知って俄然欲しくなったとかいうわけでもないのだから、何も気落ちする必要はないのだが、マアこういうものは当れば縁起が良い感じがするし、一応気にするのだ。信じてはいなくてもつい見てしまう運勢占いみたいなものですナ。

それはそれでよしとして、この機会にもう一度と、今年いただいた年賀状を見返していたら、いろいろな想いが浮かんできた。まずは、自分もだんだん否応なく、シニア世代の前線に押し出されてきているなということ。毎年少しずつだが、大正や昭和一桁生まれの先輩が静かにステージから退場してゆき、昨年は同年代の友までもが、何人か先立った。昨春の賀状はあるのに、わずか1年後の今春にはもう何もないというのは、何とも淋しい。
何十年と欠かさず賀詞を交わしていた先輩・同輩、そしていつのまにかあまり歳の差を感じなくなった後輩からの1枚が、突然途絶えたのも気にかかる。もしや健康を損ねているのでは...、それとも何か事情でもあったか...と。単に、儀礼的なことはお互いもうそろそろ止めにしましょうということであれば、それはそれで良いのだが。

宛名面の表記のし方からも、いろいろなことが推察される。昨今は、年賀状ソフトを使ってのコンピューター・アドレスが全盛だが、自分のところにいただくのは過半数がそうであっても、手書きも意外なほど多い。同世代の友人・知人に達筆の手書き派が多いのは、過ごしてきた時代環境からして当然なのだが、同じシニアながら頑張ってコンピューター・アドレスしている面々もいれば、コンピューター世代なのにあえて手書きアドレスという連中もいて面白い。自分はといえば、数年前からコンピューター・アドレス派に転向した。仕事上では“ひとりひとりに対するメッセージはパーソナライズせよ”などと言っているくせにまことに申し訳ないが、この楽さ加減には勝てなくなってしまった。
ただ、興味深いことも発見した。同じコンピューター・アドレスでも、人によってフォントの選び方に個性があること。選んでいる書体と、本人の性格や本来の筆跡との間には、何とはなしに共通するものが感じられるのだ。控えめでごく普通の実直なサラリーマンだった友は明朝体、人一倍几帳面で堅物だった友は楷書体、自己主張があってちょっとアクの強かった友は隷書体やゴシック体、自分のようなややお気楽で気ままな人間は行書体―-という具合に。

パソコンもケータイメールも使っていないはずの友人からコンピューター・アドレスの賀状が来ると、“ハハン!さては2世帯同居をするようになって、息子か娘(もしかしたらそのお嫁さんかお婿さん)に代筆してもらったか?だとしたら賑やかになって結構々々”などと、家庭環境の変化にまでも思いを致してしまう。いまの時代はどこも、たいてい子供たちが生家から独立して、老夫婦二人きりというケースが多くなっているからだ。
子供といえば、年賀状の中でも普段の仕事でも、自分の子供の世代にあたる人たちとの関係がずいぶん多くなった。妙に意識せずごく自然な感じで付き合ってくれる若い人たちの気持ちがとても嬉しいし、同時に、自分もまだ、あまり違和感なくそれに対応できている(と思っているのは本人だけかも知れないが)のを有難いと思う。

話はまた、お年玉つき年賀はがきに戻るが、締めてみたら4億枚も売れ残ったそうで驚いた。生産量と販売量の見通しの問題もあるかも知れないが、率直に言わせてもらえばマーケティング――商品の付加価値のつけ方と流通のありかた――の問題ではないのか?何か制約でもあるのかも知れないが、賞品については、毎年もっとオリジナリティを出すようにした方がいいし、流通も、期間中はいつでもどこでも買えるようになっていた方がいい。
実際自分も、買い足す必要に迫られて年末・年初に近所を探し回ったが、郵便局は休みだしスーパーやコンビニには在庫がなく、なのに初詣に出かけた3日には、最寄りの私鉄駅頭で立ち売りをしていた。地域や局によって方針が違うのかしらん?

年賀はがきでお年玉は当らなかったけれど、例年通りダブル初詣には行ってきたし、今年一年の運は何とか大丈夫だろう(と信じつつ)。

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