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2007年12月

2007年12月24日 (月)

早かったこの1年

月並みな言い方だが、ほんとに“月日の経つのは早い”と実感する今日このごろ。激動する毎日を目いっぱい働き週末が待ち遠しかった若いころと違い、さしたる変化もないまま時間がまとまって1週間単位で過ぎてゆくような気がする。
今年は、四季の移り変わりも何かメリハリがなかった。異常気象ということなのか、猛暑の夏だけがバカに長く続き、春と秋が僅かしかなかった印象で、いつもの年にくらべると桜も紅葉も楽しんでいる間がなかった。

世間では、2007年が明けるとから毎月のように、「食品偽装」「年金記録漏れ」「不条理殺人」「原油高」「防衛省次官汚職」「薬害」など、誰にとっても無関心ではいられない大きな問題・事件が多発し、日本はこの先どうなってしまうのかと暗然たる気持ちにさせられた。
政治家でもないし、ビジネスの第一線を退いた身だから、いくら自分がやきもきしてもどうなるものでもないが、せめて、まだ何らかの関わりを保ち続けている経済分野の片隅で、自分のできるかたちと方法を通じて、少しでも、これからの時代を担う人たちが伸びるための役にたってゆくことができたら...などと、いまは勝手に考えている。

自分にとっての2007年は、これといって何かを成し遂げたとか、大波乱があったとかいうわけでもなく、まずは無難に過ぎたと言っていい年だった。1月の川崎大師初詣から始まり、2月のダイレクトマーケティング・フォーラム、5月のリーダーズダイジェスト同窓会、6月の総合健康診断受診、4月~7月の広告電通賞選考会、11月の早稲田クラス会という、いつも通りの年中行事をつつがなくこなして、一度も寝込むようなこともなく、外出や悪天候のとき以外は1日2回のムッシュとの散歩も楽しんで続けることができた。
このブログも、我ながら感心するほどコンスタントなペースで続けられている。週一回だから、デビューした昨年初めから通算するともう100回以上になる。そのうち月1回はマーケティング・ネタを心がけているので、依頼されて別に書いているウエブ・コラムと合わせると、これも、2年で50本近くこなした勘定だ。テーマが重複しないように意識し、主観的になり過ぎないよう資料の下調べや情報の確認もするので、結果はあんなものだが、けっこう手間がかかる。でも、それによってアタマに良い刺激を受けるから、ボケ防止にはちょうどいいと前向きにとらえている。

今年、自分的に嬉しかったのは、1月に“古稀”という節目に達したことを家族一同が集まって祝ってくれたことと、6月に久しぶりに仕事で(というか勉強で)ニューヨークへの一人旅をして、全然疲労感もなく、“ナーンだ、俺ってまだまだやれるジャン”という気持ちになって帰ってこられたことだ。事実その後は、前にも増して前向きに仕事に取り組もうという意欲が湧いてきた。
ただ、番外だったのは、健康診断の胃部X線検査での結果、精密検査を受ける破目になったこと。詳細は8月6日に報告した通りだが、内視鏡検査と病理検査の両方とも結果がシロと出て、正直のところホッとした。たとえクロであっても、病気は向かって行って治すしかないのだから別に落ち込みもしなかったが、約束・計画していたことの中断によって公私の関係者に迷惑をかけることになるかと、一時はその調整を思いあぐねた。

実は、たまたま同じ時期に、“歌唱付月例懇談会”仲間である早稲田の級友の一人も胃部検診を受け、お互いの様子をメールで知らせたり励まし合ったりしていたが、結果がわかったはずの8月下旬ごろから、プッツリと音信が途絶えた。気になったけれども妙にお節介を焼いてもかえって迷惑かと思い、友人一同、案じながらもソッと見守っていたが、11月中旬に行われたクラス会には“療養中なので今年は欠席するが来年は出たい”という便りを寄せてきたので、一安心していた。
ところが、それから1ヵ月も経たない今月の10日過ぎに、その友の夫人名義で喪中挨拶が送られてきて目を疑った。2日に亡くなったのだという。故人の強い遺志で、友人・知人には誰にも知らせず、ごく近い縁者だけで密葬したそうだ。ゴルフ、テニス、カラオケ、旅行と、仲間の中では最も積極的に退職後の生活を楽しんでいただけに、自分の命運を悟ったときには、さぞ無念だったろう。ツイこの間までは、例会場で快活に歌いまくっていたのに...。今はただ、冥福を祈るしかない。

今年は、1月にも級友が旅立った。それも、本人からの年賀状が届いた数日後だった。昨年の12月から数えると、1年の間に3人の友を失ったことになる。来秋のクラス会まで、もうこれ以上減らないで欲しいと祈るや切。
1~2年前までは、喪中挨拶というと大概、90歳以上の天寿を全うした自分たちの親の世代が多かったが、今年からそれに、兄弟・友人の世代が混じるようになってきた。それも例年になく多い気がする。これから来年の賀状の宛先を確認しようと思うのだが、2度と便りを送ることのなくなった友人・知人のデータを削除するのは、何となく心が痛む。

...と、感傷にばかり耽ってもいられない年の暮れ。たった二人(と一匹)の世帯でも、大晦日までは、けっこう何だかんだ忙しいのだ。で、次の月曜だけはお休みにさせていただき、来年は1月7日に戻って来るつもり。
メリー・クリスマス! そして、どうぞ良いお年を!

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2007年12月17日 (月)

クリスマス・イルミネーション

いつ頃からだろうか、12月に入るとあちこちの郊外住宅地の一般家庭で、競うように自分の家屋を、クリスマス仕様のイルミネーションで飾り立てるのが流行りになった。元祖はニューヨークのブルックリンあたりだと思うが、それを見てきた海外駐在帰りの家庭などで、子供にせがまれて仕方なくやっているのか、それとも親自身もそれをするのが楽しくて一つの生きがいみたいなものになっているのかわからないが、いずれにしても、金も手間もかかるだろうによくやるものだと、ある種の敬意を禁じ得ない。
自分がいま住んでいる場所に引っ越してきた四半世紀前は、近辺にはいたるところに、宅地造成したままで擁壁も道路もない広い空き地があり、自分の家から道路一つ隔てたあたりもそうだったが、この数年の間にどこもビッシリと建売住宅が立ち並び、働き盛りの親と育ち盛りの子供たちから成る若い家族がどんどん入居してきて、いつからかこういった光景が繰り広げられるようになった。日の落ちるのが早くなったこのごろは、すっかり暗くなってしまった中でムッシュの散歩をさせるときなど、近所のところどころで、あるいは派手やかな、あるいは慎ましやかな、そんな灯りが目に入るようになり、今年ももう残り少なくなったかと改めて気づかされる。

この時季になると、最寄りの私鉄駅前広場にも、電飾を施したツリーが立てられ(というよりも、もともと植えてあった木をライトアップしたという方が正確か)、付近の街路樹も美しい豆電球で彩られるが、これはこれで今や、季節の風物詩として街の中に溶け込んでいる感があり、なかなか好もしい。
東京都内でも昨今は、丸の内、新宿、六本木、渋谷、汐留、その他あちこちに、豪華な電飾ツリーが立てられているらしいが、夜出歩くことがメッキリ少なくなった自分は、今のところまだ、実物にお目にかかっていないので、感想を述べることもできない。むしろ、こう言っては気障になるが、ニューヨークのクリスマス・イルミネーションのことならば、何度もいろいろなところに足を運んでいるので、多少なりともコメントできる。

で、ニューヨークと言えば、圧巻はやはりマンハッタンの「ロックフェラー・センター」ではないだろうか。巨大さはもちろん歴史の古さから言っても、おそらく全米一(もしかしたら世界一?)と思う。全国を探し回って切り出してくる20~30メートルの巨木を飾る数万個の電球が一斉に点燈される毎年12月初めの夜は、広場の地階にあるオープン・スケートリンクが営業していることもあって、あたり一帯はたいへんな人出になる。普段なら、その場所その時間にはまず見かけることのない子供たちや、国内各州・世界各国からのビジターとわかる老若男女がドッと繰り出しているのも、このシーズンならではのことだ。
例年なら我々夫婦は、この時期にはここに来ているところ。それを知っている人からは“アレ、今年はまだですか?”などと訝しがられるのだが、残念ながらこのところ、二人揃ってはニューヨークに出かけていない(自分だけでは仕事で6月に行ってきたが)。昨年は何だかんだ贅沢を言っているうちにホテルがとれなくなってしまい、今年も、年内に目処をつけたい家庭内プロジェクトがあったため、とうとう実現できなかった。ので、せめてもといま、テレビのレポートやインターネット・ニュースで現地の様子を偲んでいる。

アベニュー・オブ・アメリカ(6番街)と7番街の間で53~54丁目にあるホテルを定宿にしているので、ロックフェラー・センターにはいつも歩いて行く。チェックインしたその夜に早速、荷物も解かないうちに街に飛び出すのだが、プレ・クリスマスのこの時期は、広い舗道も人・人・人でごった返し、頬を刺すような厳しい寒気も気にならない。
毎年飽きもせずここに来て、華麗に煌く巨大ツリーを何度も見上げ、クリスマス・キャロルに乗って氷上をリズミカルに滑る人々をしばらく眺めては、道々で行き交う家族連れなどと頬笑みを交わしたりするのだが、どの顔もそれなりに幸せそうで、こちらも思わずフレンドリーな気分になり心が温まる。

このツリーに向かって5番街の方から入る、中央に水路を配した庭園歩道があり、その水路の両側にはやはりこの時期になると、“笛吹き天使”と名づけられたワイヤー・アートが数体立てられるが、これがまた金色に燦然と光り輝いて何とも美しい。
ところで、この笛吹き天使を前景に、そして重厚なロックフェラー・センターのメイン・タワーを背景に、華やかな主役のツリーがその中心に位置して、まるで額縁に入った絵のようなアングルで真正面から一望できるスポットがあるのをご存知だろうか?デパート「サックス・フィフス・アベニュー」の4・5階、レディース・ファッション売場の5番街側の窓がそれ。家内の買い物に付き合っているうちに気がついた。ニューヨーク暮らしの長い方はとうにご存知かも知れないが、そうでない方は、今度この時期に行かれたとき、買い物ついでにぜひチェックされるといい。

もちろん、ニューヨークのクリスマス・イルミネーションの見どころは、ロックフェラー・センターばかりではない。他にも沢山あるが、その中で自分も実際に足を運んでおり、これはいいと思っているのは、コロンバス・サークル先の「リンカーン・センター」とフルトン・ストリート先の「サウス・ストリート・シーポート」。
リンカーン・センターのツリーは、さすがにアカデミックな場所だけあって、華やかさというよりは落ちついた美しさがあり、白色の気品のある輝きにはセンスの良さが感じられ、サウス・ストリート・シーポートはそれと対照的に、魚市場の傍だけにチョッと魚臭いが、足元の磨り減った旧い石畳に何とも風情が感じられ、ツリーの一部に組み込まれた格好で歌うオヤジ合唱隊(コーラス・ツリー)のクリスマス・ソングが楽しい。

...などと、ご近所から東京都内へ、さらにはニューヨークへまでも思いを巡らせているうちに、フと、3人の子供たちがまだ小さかった頃、オモチャの点滅電球を飾ったプラスティックのツリーを囲み家内の手作りケーキで団欒した、わが家のささやかなクリスマスイブが脳裡に蘇った。彼らは今年、それぞれのイブをどう過ごすのだろうか?

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2007年12月10日 (月)

ブログのマーケティング効果

早いものでこのブログも、あと1ヵ月足らずで3年目を迎える。タイトルの通り、感じたことや思い出したこと、考えついたことやこれはと思う情報などのメモ代わりのつもりで、誰に頼まれたわけでもなく自分のために書いているのだが、公開している手前、正直なところウケないよりはウケた方が嬉しいし、アクセス数も多いに越したことはないという気持ちはある。それ以上の色気は、別に何もないのだが。
世間には、個人のものでも月間アクセス何万、何十万という人気ブログが結構あるそうで、そうなるとメディア価値があると見なされて広告掲載などのターゲットにもなるらしいが、いくらアクセスが多くても半数以上(54.4%)はザッピングというデータ(米国Technorati)もあるし、よほどコンテンツと広告製品・サービスがマッチしていない限り、クリックはおろか注目効果すら発生しない可能性もある。

しかし、昨今インターネットがショッピングのための情報収集に多用されるようになってきて、構造的に検索エンジンと相性のいいブログはその露出度が高まり、いきおい、ブログから発信されるメッセージが、人々の購買行動に何らかの影響力を及ぼす可能性がある(特にインターネット上において)ということがわかってきた。
そこでこの特性を逆方向から辿って、企業が対象客を自社の主たるコミュニケーション・ステージに、あるいは望ましい購買ポイントに導くため、ブログというソーシャル・ネットワーク効果のある情報発信形式を、マーケティング目的を持って戦略的に利用するようになったのは当然の成り行きと言えるだろう。ご存知の方もいると思うが米国では、ゼネラルモーターズ、マイクロソフト、シスコ、サンマイクロシステムズ、デルコンピューター、ウェルズファーゴ、P&G、マリオットなどのグローバル企業が、社員・企業関係者・ファン・評論家・ジャーナリストなどから成るコミュニティ・ブログというかたちでの情報発信によって、広報や製品・サービスのブランディングなどに一定の成果を上げている。日本でも、若手起業家などのいわゆる“社長ブログ”が流行っているし、まだ事例は少ないけれども、日産自動車やシャープなどで“キャンペーン・ブログ”も試みられている。

ただ、2年ぐらい前だったか、ソニーの新製品の体験談ブログの書き手が実は雇われライターだったことがバレたり、ウォルマートの傘下店紀行ブログが契約PR会社の制作によるものだったと判明したりして、いわゆる“やらせ”ではないかと問題になったことがあった。似たようなことはこれまでにも、ブログに限らず他のメディアでもなかったわけではないが、ブログの場合はその内容がいかにも個人的体験談や感想に見え、しかも口コミ効果もあるところから、みんながだまされていたように感じて非難が捲き起こったのだと思う。
このようなやり方を“ステルス・マーケティング”などと名づけている向きもあるようだが、巧妙に見えていてこれは、企業の信用を一気に失墜させる危険もある手法で、とても“マーケティング”と呼べるような代物ではない。混同を避けるために言っておくならば、先に挙げたような米国企業のブログは、企業自身がオフィシャルに設けたオープン・ディスカッションの場で、当然“ステルス”などではない。

では、これこそが“マーケティング”かと問われれば、やはり首を捻らざるを得ない。今のところこのかたちは、“Corporate Blogging(企業ブログ)”という呼ばれ方をしているが、まあ、マーケティングがらみの効果が少しでもあれば、たちまちそのやり方が「○○マーケティング」と呼びそやされるようになるのは世の常で、米国では既に、「ブログ・マーケティング」という本も出版され、その分野の専門家、専門サービス会社も存在している。だが、ブログ・メッセージの発信とそれによって発生するビジネス成果の因果関係が、十分な検証事例に基づいて客観的・数値的に測定・評価・体系化されているわけでもない今のところは、そう称するのはいささか早計に過ぎるような気がする。むしろ今の段階は、企業のマーケティング目的を促進し効果を増幅するための“コミュニケーション手法・戦略”とでも言った方がいいのではなかろうか?
日本でもブログ・マーケティングという呼び方は、ある程度普及しているようで、人気ブログ上での製品やサービスの広告、企業が関わるブログを通じての企業広報、製品・サービス選択のための情報提供、ユーザー・サポートなどのことを指すとしているが、率直に言ってこの認識も、皮相的で先走りの感がある。

自分がブログ・マーケティングと言われているものについて感じている問題点は、ここで7月2日に書いた「ソーシャル・メディアでマーケティングが変るのか?――DM DAYS NEW YORK 07から」(よかったらそちらも読み返していただきたい)の中でも指摘している“効果測定”のこと。今回あらためて、いろいろな資料・情報に当たってみたが、誰も明確に言及していない。手法・戦略としての適用体系が確立されていないのだから、効果測定についての考え方が定まっていないのも当たり前といえば当たり前だが...。
なぜそこにこだわるかと言えば、もしそれを“マーケティング”と言うのなら、これがその基本中の基本になるはずだからだ。自分がダイレクトマーケティングに魅かれたのも、その部分の考え方と方法論が実に明快だから(興味のある方は拙著「体系ダイレクトマーケティング」のその項をご参照あれ)で、つい先日も、顧問を引き受けている会社のダイレクトマーケティング勉強会で、若い人たちにそのことを力説してきた。

ところで、“ブログのマーケティング効果”とは何だろう?“マーケティング”という概念をどう捉えるかによって違ってくるが、「販売」「広告」「PR」など諸説ある。しかし、成功とされている事例に共通しているのは、どうやら、「ブログには、企業の販売拠点や顧客接点で、成果の下支え・底上げ効果を発揮する力がある」ということのようだ。
自分も上記のブログで、「企業には、その業種・業態・客層によって、成果を発生させるために本来最も適切なコミュニケーションと流通のチャネルがあり、ソーシャル・メディアは、もともと理由があって使われ続けてきたそのチャネルをあくまでも中心に置いた上で、その成果を支援・増幅(サポート)するためのものと位置づけ、コンテンツとタイミングを連動させて使うのが最も有効なのではないか?」という仮説を提唱しているが、今回調べてみて、たまたまその仮説と一致している実際の成果もあることがわかった。だがこれだけではまだ、立論するにはサンプル数も十分とは思えないので、今後ともより多くのケースをウォッチして、検証して行く必要があると思っている。

ところで、もしそういう考え方に立つならば、“ブログのマーケティング効果測定”とは、それとの連動を図った時期において本来のチャネルで発生した成果を数値的に把握、それをブログ非掲出の時期の成果数値と対比させて差値を求め“サポート効果”として認識し、さらに、それとその時期のブログの露出度を表わす数値(掲出時間・期間、アップ本数など、ページビューやインプレッションとも意味が違うと思うが何と言えばよいのか)との相関関係を数値的に見出すこと――になるのではないかと考えるが、どうだろう?
ブログの露出度、テーマ、テキスト、デザイン、ライターなどの違いによって、当然その相関数値も違ってくるはずで、そういった様々なテスト・ケースを重ねることによって、ブログを使ってマーケティング効果を生み出すための戦略体系も見えてくるはずだ。もちろん、個人ブログだろうと企業ブログだろうと、根本的にそれ自体に魅力(カリスマ性というのか?)があってアクセス数が多くなければ、そのマーケティング効果の測定もへったくれもないわけで、効果測定の理屈をこねる以前に、多くの人が読みたくなる人気ブログにならなければどうしようもない。

よくわけもわからずに始めたが、ようやくこの頃、個人的にもマーケティング的にもブログが面白くなってきた。と言っても、技術的なことはほとんどわからないのだから大きなことは言えないが...。
ともあれ、ブログ・マーケティングについては、もっとよく勉強してから、またの機会にジックリと論じさせてもらうことにして、この自分のブログではこれからも、余計なことは考えず、心に映りゆく由無し言(徒然草か!)を気ままに綴り続けて行こうと思っている。宜しかったら引き続きご愛読のほどを。

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2007年12月 3日 (月)

今年最後の清里

何だかんだと忙しくて、前回からまた6週間以上経ってしまったが、来春まで山荘をクローズするために、今年最後の清里へ。もうすっかり冬モードに入り、夜間や早朝は氷点下前後まで気温が下がるこの時期の清里の森は、散歩するにはいささか寒過ぎるし、厳冬の数ヵ月を留守にするに当たり凍結防止のための“水抜き”などの作業があるので、今回はムッシュを近所のペットクリニックに預かってもらって出かけた。
その前日、ホテルの予約を入れるため散歩のついでにクリニックに立ち寄ったら、どうも話を聞いていて預けられることを察したらしく、気になるのかその夜はほとんど眠らず啼き続け(おかげでこちらも眠れず)、夜が明けて当日になると、いつでも一緒に出られるゾという体勢でクレート(出かけるときに入るドッグ・バッグ)の中からこちらを見張っている。そしていよいよ預ける時間がきて外へ連れ出したら、“ブーブに乗ってお出かけするんでしょう?”という精一杯甘えた表情をつくって、車のドアの前から一歩も動かない。3キロそこそこの極小犬なのに、リードを引っ張っても足に根が生えたようにビクともしないのだ。仕方なく抱き上げて、“すぐに帰ってくるから、お姉さん(ペットシッターの)のところでいい子にしているんだョ”と道すがら何度も囁きながら連れて行ったのだが、腕の中で終始小刻みに震え続け、クリニックで大好きなお姉さんに抱っこされてからも放心したような表情だった。

初冬の八ヶ岳

それはチョッと気になったのだが、ママとパパも、たまには自分たちのペースで走りたいように走って、止まりたいところに止まり、ムッシュ連れでは入れないレストランでゆっくり食事もしたいと、内心ではゴメンねと言いながら、後ろ髪を引かれる思いで出てきた。ムッシュには済まなかったという気がするし、いつも傍にいる子がいないと淋しくもあったが、何しろ自分たちのペースで動けたので、クローズの作業もスムーズかつ的確にはかどり、やはり、何かと楽だったことは否めなかった。
わずか中一日ではあったが、お天気にも恵まれ、この時季ならではの富士と南アルプスと八ヶ岳連峰と秩父連山のパノラマ・ビューをエンジョイしながら八ヶ岳高原ラインを往還して、しばらくご無沙汰していた萌木の村の「ハットウォルデン」や大泉の「いずみきのこ園」に顔を出し、また、先日庭の立ち木の伐採をしてもらったお礼と料金の支払いに、森の管理センターにも立ち寄った。

初冬の山荘

今回は、育ちすぎて通風や採光の妨げになっていたカラマツ、アカマツ、ミズナラその他の雑木を20本ほど、管理センターの職員の人たちに伐採してもらったのだが、到着の翌朝窓から外を見て驚いた。木の葉がすっかり落ちていたこともあるかも知れないが、室内への陽の差し込み方が、これまでとはまるで違っていた。
家屋に近接していた高木を何本も切ったので、地面と空の広さと光の量がこれまでの何倍にもなったような感じがしてまことに気分が良く、家内と何度も、“伐採してもらって良かったね”と言い合った。これでまた最初の頃のように、風通しの良いスポットが庭のあちこちにでき、来年の春・秋の野草とキノコが楽しみになった。予想以上にスッキリして本当に嬉しかったので、作業をしてくれた管理センターのAさんやSさんに感謝の気持ちを伝えたら、そこからまた我が家の樹木談義に花が咲いて楽しかった。

さて、昨年も書いたが、クローズの作業は何十回やっても、これで完璧という気持ちになれない。すべての水抜き栓を開放し、電源スイッチをチェックし(オフにするところとオンのままにしておくところがあるからややこしい)、全部の窓とドアのロックを確かめるのだが、いつも、あれでよかったのかと自信が持てぬまま帰途につくことになる。
もう二人とも頭の中に覚えているだけでは無理なので(家内は多分まだ大丈夫とは思うが)、マニュアルを作らなければとパソコンに入力中なのだが、一連の作業手順を脳内だけで整理・反芻しつつ文章化しようとしていると途中で疲れてしまい、2年越しに未完成のままになっている。来年のクローズまでには、何とか間に合わせなければ...。

今回はもう一つ、念願があった。それは、ムッシュ連れだとどうしても無理だった「ぼのボーノ」で食事をすること。今年は春先に一度寄ったきりで、久しく訪れるチャンスがなかったが、最後の最後に想いが叶った。
と言うのも実は、今回はせっかく自由に動けるのだからできるだけ外で食べようと、往路では竜王町(現・甲斐市)の国道20号線沿いの蕎麦屋に立ち寄ったところ、これが暖簾の旧さの割にはツユ・蕎麦ともイマイチ。翌日行った「ハットウォルデン」は折悪しく団体さま貸し切りとかでランチにありつけず、「いずみきのこ園」でもお目当ての品が売り切れ。ツイてないねと家内と嘆き合っていたが、最後に帰り道の「ぼのボーノ」で、今年の山荘通いを美味しく締めくくることができた。

と、自分たちは満足裡に帰宅したのだが、ムッシュを迎えに行ったら、初めて経験するような事態が起こっていてビックリした。ストレスのためかムッシュは、身体に痒みを発症して自分で体毛の一部を齧ってしまい、そこが赤むけになってしまったのだ。幸い預かってもらったところがクリニックだったので、適切な処置と投薬で大過なく済んだが、気にしていたことが当たってしまったようで、可哀そうなことをした。

子育ても難しいが、犬育ても難しい。

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