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2007年10月 1日 (月)

秋桜(コスモス)

ただBGM代わりに点けているテレビは、時たま目を遣った画面が印象に残っても、後になると何の番組だったかなかなか思い出せないことがある今日この頃。最初から真面目に視ていないからかも知れないし、単に忘れっぽくなっただけのことかも知れない。まあ、そんなことは歳相応なのだろうし、たかだかテレビのことだから、どちらでもいいが。
数日前にも、どのチャネルかで、青々とした空の下に何色ものコスモスが微風に揺れている風景を目にしたが、信州のどこかという以外には、ニュースだったか、旅番組だったか、それともドラマだったか、サッパリ覚えていない。だが、ごく短い時間だったにもかかわらず、カメラ位置をほとんど変えず、余計なナレーションや音楽をかぶせていなかったその映像からは、かえって、視ているこちらの気持ちの中の、さまざまな琴線に触れるものが伝わってくるような気がした。

まず自然に脳裡に浮かんだのは、山荘のある清里の森の昔の光景。20年以上前の遅い夏、分譲地の見学にと森を訪れたときには、どの区画も、道端から奥の方まであたり一面に、カラマツやシラカバの木漏れ日を受けて、紅と白のコスモスの花が咲き乱れていた。いま自分の家が建っている区画にもひときわ多くの花が風に揺らめいており、その涼やかな印象が、そこに山荘を建てようと心を決めた大きな要因の一つになった。
ところが今は...残念ながらあの頃の跡かけらもない。建築工事のときに建物本体や埋設物のため敷地をかなり掘り返してしまったので、念のためわざわざ種を蒔き直したのだが、翌年花をつけたのはそのうちのごくわずか。いつの間にかそれも姿を消してしまった。自分のところだけでなく、他のお宅も、空き地のままになっているところも、そのあたり一帯がそうなってしまったのだ。栽培種を丹精して育てているらしい場所以外、最初あったような野生種は、もはやどこにも見当たらない。森の外へ出ると毎年今ごろは、街道沿いなどにいくらでも見かけることができるのに。

また、コスモスの映像が目に入ると、やはりどうしても、自然にあの唄が聞こえてくる。自分のような年配にはあまり似つかわしくないと思われるかも知れないが、さだ・まさしのあの曲が無条件に好きだ。で、自分の好みは、オーケストラ・バックの山口百恵の唄ではなくて、さだ本人の、アコースティック・ギター弾き語りの方。
自分としてもこの唄を、シャンソンのようにしみじみと唄えたらいいと、かねがね思っているのだが、練習を家族に聞かれると柄にもないと言われそうで恥ずかしいので、家の中では決して唄わず、独り、ないしはムッシュと一緒に散歩に出たとき、呟くように口ずさんでいる。つい先日までは、カラオケで唄ったことも一度もなかった。

そう言えば、カラオケ自体もだいぶご無沙汰だった。公私共に多忙だったり体調の問題もあったりして、早稲田の友人たちとの“歌唱付月例懇談会”にもずっと顔を出していなかったが、“たまには気分転換してきたら...”という正式許可もいただいたので、9月最後の週末、半年ぶりに、大森の例会場に足を向けた。
その日は、たまたま午後に都内での仕事があったが、一度出かけただけで済むからかえって好都合と、続けて回ることに。その翌日もまた都内へ出ての仕事が入っていたので、疲れはせぬか、大丈夫かと、このところ無理を重ねている自分を家内が心配していたが、なんとか無事に乗り切った。

ところでその宵、顔を合わせたのは自分も入れて4人だけ。全員集まれば倍以上の人数になるのだが、来られなかった連中の方が多かった。自分もこの夏は胃部の精密検査で心配させられ、問題はなかったものの節制中だが、欠席の一人は術後で無理ができず、もう一人は投薬治療中、さらに他の一人も、連絡はないが手術を受けたと聞いた。
だから、面子がそろってしばらくの間は健康談義。続いて政局と国際情勢を論じ、さらに昨今の学校や家庭内の問題にまで談論は風発。で、程よい時間が来て本来の目的に移行し、誰からともなく唄い出す。何しろ宵の6時から開場してもらい、他の客が居るわけでもないので、銘々がテーブルに置いてあるリモコンで勝手に検索しては曲を入力しているのだ。

いつもなら自分は、唄い慣れたポピュラー・ソングから始めるのだが、あのコスモス映像以来、機会があったらトライしてみたいと思っていたのを抑えきれず、まだ完成度は低いと自覚しつつも、今宵は「精霊流し」「無縁坂」「秋桜」と、さだ・まさしを三連発。友人たちは、ヤツは何を急にセンチメンタルになったかと初めは訝しげだったが、だんだん共感が湧いてきたらしく、素直な表情になって一緒に口を動かしているのがわかった。
しかし、これまでウン十年、唄っている曲に過度に感情移入したことなどなかったのに、「秋桜」はセーブが利かなかった。2番の“今更ながら我儘な私に唇かんでいます...”という部分から、“ありがとうの言葉をかみしめながら生きてみます私なりに...”という部分に来て、思わず鼻の奥がツーンとなり声が詰まった。この曲には、父親の気持ちなど何処にも出て来ないのだが、心の準備も十分でないうちに娘が手許から離れて行ったときの家内の落胆の様子、一緒に暮らしていた期間の方が短くてロクに孝行もできなかったが何も愚痴らず寡黙だった自分の母親の姿などが、あの切ない歌詞とメロディーに重なり、いい歳をして不覚をとってしまった。いやお恥ずかしい。

こんど清里へ行く頃、まだ路傍のコスモスは花をつけているだろうか。

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