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2007年9月

2007年9月24日 (月)

八ヶ岳の残暑

今年の夏は異常に暑いので、こんな時こそマメに山荘通いをせねばと思っているうちに、前回からまた1ヵ月近く経ってしまった。何だかよくわからないが時間が速く過ぎてゆく。公私にわたって仕事が多すぎるのか、それとも単に、こなして行くペースが落ちてきたのか。マイペースでのんびりと暮らすつもりでいたのが、気がつくと毎日、ムッシュとの散歩の時間以外は、机の前に座ってばかり。あらためて数えてみると、一日たっぷり8時間以上は仕事をしている。それも、週末の休日などなしでだ。
これじゃあオフィス通いをしていた頃と変らないとも思ってしまうが、朝はゆっくり起き、往復の通勤による体力消耗がないことでは助かっている。疲労を感じないことはないのだが、ともあれ、まずまず健康に過ごせているのが有難い。そんな状態なので、骨休めにはならないかも知れないがせめてもの気分転換にと、合い間を縫って数日、山荘に出かけることにした。前回もそうだったが、今回もまた、タップリと仕事持参で。

先月末チョッと涼しい日が続いたので、もしやこのまま秋に?と思いかけたが、そうは問屋が卸さず、横浜を出た日の午後は32度という厳しい残暑。夕刻、山荘に到着してやっと、ホッと一息をつく。気温は20度だった。夜半雨音が聞こえたが、翌日は晴れ。
今回は、ただ場所を変えただけで持ち込んだデスクワークにかかりっきりになっているのでは意味がないと思い、庭で力仕事をしようと密かに心に決めてきた。前回は駐車場しかできなかった“笹刈り”と“雑木の伐採”を、少しでも進めなければならないと。
笹刈りのターゲット・エリアは、自称“遊歩道”の路上とその両側。建物の南側に、林の間を縫って回遊できるように、枕木を組んで敷設してあるのだが、全長にすると50メートル近くあり、電動刈り払い機を使うのに位置によっては電源から延長コード2巻きを繋いでこなければならず、さればといって手刈りではそれこそ“手間”がかかり、毎年のことながら、なかなか腰が上がらないでいた。しかしいつまでも億劫がってはいられないと意を決し、一心不乱に機械を振るった結果、2時間近くかかったがきれいに仕上がった。

雑木の伐採も、幹が太くなった高木は素人独りでは無理だが、直径15センチ未満くらいの実生の中木、株立ちの中の1本などは、自分でチェーンソーを使って切り倒せる。細くても高さは優に10メートル以上はあり、けっこう重さもあるので、倒す方向を見定めつつ、いつでも逃げられる体勢をとりながら慎重にやる。
ここのところ、毎年1回3本ずつくらい切っているのだが、今回は1本切り倒したところでチェーンソーのチェーンが外れ、使えなくなってしまった。これまでにも度々あったことなので簡単に直せると思ったが、老眼鏡をかけていない(この作業のときは目の保護のためサングラスをかけている)ので細部がよく見えない上に指先がすっかり不器用になっていて、何度リセットしようとしてもダメ。屋内にメガネを取りに戻るのも面倒だし、出かける予定の時間も迫ってきたので、あっさりとギブアップしてしまった。情け無や。次回はチェーンソー直しから始めなければならない。

庭の立木伐採については、今回は自分でできることをしただけでなく、「清里の森」管理センター職員の人たちと、カラマツを初めとする何種類かの高木の間引きについて相談した。頼めば、切り倒してその場に1メートルくらいの長さに裁断して積み上げておくところまではやってくれるということなので。
20年近く経つと、最初は気にならなかった枝が伸び葉が生い茂って、日照と通風を妨げ、地表のキノコや山野草などの植生を様変わりさせ、後で植えた花木の生育の邪魔をしている。かと思うと、大雨や嵐の後などには根が浮き上がって傾いでしまっているものもあれば、いつの間にか丈が伸び幹が太って今にも家の軒に食い込みそうになってきているものもある。特にカラマツは、かなりの大木でも根が弱いらしく、チョッと風が吹いてもユラユラしているし、ミズナラは葉が大きく厚いので夏の繁茂期には鬱陶しい。いろいろな樹木が、それこそ“林立”しているが、昔植林したらしいものもあれば実生で大きくなったものもあって樹木間の間隔は一定せず、これも日照と風通しの悪化の一因になっている。

そんなわけで、まずは自分で見回って、これは明らかに切った方がいいと思うものを数本、見当をつけておき、その上で管理センターの人たちに見てもらい意見を聞いた。やはりプロの目は違うもので、結局、約20本を伐採することに。他にも順番待ちをしている方がいるとのことで、実際の作業は葉が落ちた晩秋か初冬になるらしい。
ところで、伐採してもらった木の後処理のことだが、今年の春先に庭の伏流水処理工事をしてもらったときに出た材木でえらく苦労をした(5月14日参照)ので、今回は何とかならないものかと事前に相談してみた。すると、原則として管理センターの作業は伐採・裁断・現場積み上げまでだが、木材をチップ化する業者がいて、頼めば引き取りにきてくれるということなので、是非にとお願いした。これでもう一つ、肩の荷が下りた。

外から戻ると、家内が小声で玄関横の和室から呼んでいる。窓のすぐ外を指差すのでその先に目をやると、ヤマボウシの木につかまって子リスが遊んでいた。最近は自分たちの来る回数が減り、ベランダに餌を置いてやらなくなっていたので、しばらく見かけなかったが、元気にしていたようで(といっても同じリスではないだろうが)安心した。

9月の八ヶ岳は、昼の気温はまだ夏だが、ウルシの葉はもう紅く染まってきた。

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2007年9月17日 (月)

優しい時間

愛犬ムッシュ 10日ほど前、購読しているA新聞の別刷版に映画俳優・監督の奥田瑛二が書いていた愛犬との話を読んで、ウルッときた。故あって遠く離れた訓練所に預け、2年間別れて暮らさなければならなかったが、再会したときは遠くから全速力で駆けてきて、10メートルも跳んだかと思うほどの大ジャンプで抱きついてきて感動した、犬も涙を流すのを初めて見た、という話だった。
わが家の愛犬ムッシュも、度々ここで書いているように2年半前愛犬ムッシュ にわが家に来て、今でこそすっかり我が家に馴染み、なくてはならない家族の一員になってくれたが、それでも、生まれてから4年近くを過ごした最初の家と人の記憶は、あの小さな頭の中にしっかりと刻み込まれているに違いない。散歩の途中などで、前の飼い主に似ているらしい母娘(次男から話を聞いているだけで直接会ったことはない)を見かけると、ふと立ち止まって、遠くを見る瞳になる。それを見ているとこちらも、今の暮らしを幸せと思ってくれているのだろうかと何だか切なくなるし、たまに粗相をしてしまったときに妙に悲しそうな醒めた表情になるのを見ると、やはりまだ気を遣っているのだろうかと可哀そうになる。

でもこの頃は、そんなことを気にしなくてもいいくらい、すっかり気持ちが通じ合い、お互いの間に信頼関係ができたようにも思う。ムッシュは人間の言葉こそしゃべらないが、こちらの言っていることはまずほとんど理解しているし、最近は自分の方も、彼の言いたいことがかなりわかるようになってきた。啼き声や仕草や、家内や自分に向かって示す態度によって、何となく判断できるのだ。
日中、家内が買い物に出かけるときなど、以前だと、淋しがって大変な騒ぎになるので、そっと勝手口から音を立てぬように出入りしたものだったが、今では、“ママはお買い物だから、ムッシュはパパとお留守番してようネー”というと、それをチャンと理解して、家内が玄関から出て行くのを、騒がずに見送るようになった。

そしてその後も、“ママはもうちょっとしたら帰ってくるから、パパのお部屋で遊んでいなさい。”と言うと、1時間でも2時間でも、自分の仕事椅子の真後ろに座り込んで、大人しく家内の帰りを待っている。お蔭でこの頃は、ムッシュの面倒見で度々仕事を中断しなくて済むようになった。また、一緒に車に乗って、パパとママの用事で銀行や車のディーラーなどへ出かけたときにも、車中はもちろん、そこの人と相談や打ち合わせをしている間中かなり長時間でも、話が終るまでジッと大人しく待っていて、“ほんとによくできたワンちゃんですね”と感心される。事前によく言って聞かせていると、チャンとそれがわかって、言いつけを守れるようになったのだ。
ムッシュは、この子は生来無口なのかと思うくらい、家では無駄吠えを一切しないし、外でも、人にも犬にも吠えたのを聞いたことがない。だから啼くときはだいたい理由が決まっていて、まだ飼育歴の浅い自分たちにも、その意味がわかるようになってきた。

夜はふつう、夕食の1時間後、午後7時過ぎにはハウス(ケージ)で就寝の体勢に入るのだが、犬とういう動物の天性か、全員が寝静まる夜半までは熟睡していないらしく、その分朝寝坊だ。最初のころと違って最近は、夜中には滅多に声を出さなくなったが、時たま寝ぼけて“ェン、ェン”と泣いたり、外で物音がしたりすると小さな身体に似合わぬ太い声で“ゥワン、ゥワン”と叫んだりすることはある。でも、“大丈夫だよ”と一声かけてやると、直ぐに啼き止み、朝は早くて8時半、遅い時には9時過ぎまで寝ている。きっとパパとママを信頼して、安心しきっているのだろう。
目が覚めると、(ボク、起きた!)とでも言うように、短く小声で“ヮン!”と言って知らせるので、“オハヨー、オハヨー”と言いながらケージの出入り口を開けてやると、自分にはほんの挨拶程度だけじゃれて、脱兎のごとくキッチンにいる家内の足元へ飛んで行き、そこでひっくり返って転げまわる。毎日のことだが、最大限の嬉しさの表現らしい。

感心するのは、ケージの中でグッスリ昼寝しているようなときでも、お腹の中にタイマーがセットされているのかと思うくらい、食事時間には厳しいこと。正午12時、午後6時を10分と過ぎないうちに、結構大きな声で“ワッ!! ワッ!!”(腹減ったー)と吠える。待たせていると、怒って(?)何度も吠えて催促するので、そんなときは“わかった、わかった”となだめながら餌を盛り付けていると、その足元で尻尾を振りながら待っている。
ただ、タップリと散歩をした上にお腹もスッキリした後の夕食は、ちょっと早めに、定刻の20分~30分前から催促が始まる。特に、家の中にパパだけしか居ないときにはわがまま  が出るようだ。“ちょっと待ってなさい!”と言うのだが、どれぐらいのチョッとなのかはわかるはずもないので啼き止まない。そこで一計を案じた。
デスクに置いてある目覚まし時計をムッシュの眼前に差し出して、“この針が、ここまで来たらご飯にしてあげるからね。それまで待ってるんだよ。”と、時計の文字盤と針を指差しながらよく言って聞かせ、その時計を彼の目の前に置いたままにしたら、右に左に盛んに首を傾げ、目をクルクルさせていたが、何と、効き目があってちゃんと待てた。ただ、一回だけでは本当にわかったかどうか疑問だったので、その後も何回か試してみたが、今のところ結構効いているような気がする。

ムッシュのことでは、他人から見れば他愛もない話が山ほどあり、書き出したらキリがないのでこの辺にしておくが、彼のお蔭でわが家には、今日も優しい時間が流れている。

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2007年9月10日 (月)

“顧客にとっての価値を創造する”...とは?

6月にニューヨークに行ったとき偶然DM Days New Yorkで知り合って意気投合したS氏が社長をしているI社で、8月から非常勤で(月2日ほど)アドバイザーをすることになった。かねがね、自分がこれまで積み重ねてきたダイレクトマーケティング上の経験や知見をぜひ次の世代に伝えておきたい、自分にはその義務があると思っていたところ、それを彼の会社で実現してみないかという提案があったからだ。
I社は、急成長して社員数も現在100人を超えている、この分野ではトップ・クラスの独立系ダイレクトマーケティング・エージェンシー。若い人が多く、社員は学習意欲に燃え、会社としても社員の教育に熱心なので、まずはその研修プログラムの一端を引き受けるところから始めようかと、先月すでに2回、勉強会を行った。

これまでのところは先ず、どんな立場であれダイレクトマーケティングに関わる者にとっては不可欠な、「効果測定」「テスト」「損益管理」などの“基盤ノーハウ”と、「プランニング」「マーケティング・プラン」「キャンペーン・マネジメント」といった“実践スキーム”について話をしてきたが、今月からはいよいよ、より幅が広くて奥の深い「クリエーティブ」の話しをすることになっている。
そんなわけで、いま、今度の勉強会ではぜひ実のある役に立つコンテンツをアウトプットしなければと、あれこれ頭を捻りながら、テキストとプレゼンテーション・スライドを組み立てているところだ。

自分は今でこそマーケティング研究者として、本などを書いているが、もともとはクリエーターの端くれ、最初の何年間かは(実はエージェンシーの世界に入ってからも初めのうちは)自分でダイレクトメールやレスポンス広告のコピーを書き、レイアウトもしていた。だから、実務を離れた今も、そういうことを考えるのが嫌いではないし(感覚がシャープかどうかは別として)、何かを書いたり表現したりすることには大いにこだわっている。
責任の持てる研修資料を用意するのは、決して簡単なことではないのだが、今回に関してはそういうわけで特に力が入っていおり、あれもこれも話したいと、次から次へと構想やフレーズが浮かび、なかなかまとまらない。でも、そんな状態でいつまでも堂々巡りしているわけにも行かないので、話しの“スタンス”と“方向”を、自分なりに、しかし独善に陥らないようにしっかりと裏づけもして、まとめてみた。

結論だけ言ってしまえば“ナーンだ、当たり前じゃあないか”と思われるかも知れないが、一つは、「どんなに商品が素晴らしくても、広告メディアに金をかけても、販売流通網を万全にととのえていても、市場・顧客に対する“伝え方”が下手だったり、間違っていたりしたら、それらが台無しになってしまう。その意味で“クリエーティブ”の役目は重大だ。」ということ。そしてもう一つは、「市場・顧客にとっての意味が考えられていないものであったら、決して受け入れられることはないだろう。商品だけでなく、クリエーティブにもまた、その“視点”がなければならない。」ということだ。
それを表すのに、自分では、“商品を顧客便益の面から語れ”とか、“顧客のレスポンスが何よりの評価”とか、“使命を認識し価値を生み出し高めることを目指せ”とか、クリエーティブの技術・意識・目標についていろいろなことを言っているのだが、それらを捻り出す過程でさまざまな参考文献に目を通しているうちに、決して目新しくはないが、クリエーティブの座右銘として何やら意味深長に思える、一つのフレーズに行き当たった。

それは、誰が最初に言ったか、いつ頃から言われているかはわからないけれども、“Create Value for Customers”(顧客にとっての価値を創造する)というもの。何となく有難みが感じられる半面、わかったようでいてもう一つピンと来なかった言葉だが、ダレル・リーア(Darrel Rhea)という米国のカリスマ的ブランド・ディザイン・コンサルタントは、「ビジネスウイーク・オンライン」の2005年8月9日号に寄せた「人はなぜ買うのか」という論文の中で、この言葉について次のように言っている。
「われわれ人間は、自分のとった行動に意味づけばかりしている。その行動が自分にとって意味のあるものだったと思いたいからだ。だから、何か商品を買おうかどうしようかというときの意思決定も、それが自分にとって意味のある経験になるのかどうかの判断によってなされる。逆に言えば、そうすることに意味があるということを納得させれば、購入の意思決定をさせることもできるわけで、そのような“意味”を考え出すことが“価値の創造”なのだ。」と。
以前にもどうも似たような話しを聞いた気がすると思って調べてみたら、米国の高名な社会心理学者ロバート.B.チャルディーニ(Robert B. Cialdini)という人の著書「影響力の武器―なぜ人は動かされるのか」にも、ほぼ同様のことが書かれていたことがわかった。

前者は市場調査や企業のブランド・ディザインなどに携わる人々の啓発のために書かれた一文であり、後者は本来“交渉術”というものを人間心理の側面から分析した学術書的著作だが、どちらも“人の心を動かし、納得させ、行動に誘導する”ということを語っている点では、まさにダイレクトマーケティングのクリエーティブ目的と重なる。
“顧客にとっての価値の創造”というテーマを中心に据え、そのための“基本スタンス”と“具体的作法”の話で構築した自分のプレゼンテーションも、どうやら見当違いではなかったようで安心した。今度の勉強会が何だか楽しみになってきた。

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2007年9月 3日 (月)

往く夏

9月に入った、やっと...と言いたくなるくらい、8月は長かった。毎日のように真夏日が続いたせいで、特にそう感じたのかも知れない。でも、根が単純な自分には、カレンダーが一枚めくれて月が替わっただけで、何か秋に一歩近づいたように思え、気分もチョッピリ切り替わった。
実際のところも、この数日は、8月中とくらべると気温がかなり低めに推移してきたこともあり、気分だけではなく、はや初秋と言えないこともない。ムッシュと散歩するときの鼻歌も、「サマータイム」から「セプテンバー・ソング」に自動スイッチした。頭の中には、さっきからサラ・ヴォーンの物憂げな唄が流れているが、自分ももう、人生のセプテンバーをとうに過ぎたなと感じて、ちょっとしみじみ。

それにしても今年の夏(と総括するのはまだ早いかも知れないが)は、例年とは異なることがいろいろあった。まずは、蝉の大発生。昨年までは、時たま庭のモクレンやカリンなどの高木にへばりついた一匹が、一日中延々と鳴いてはどこかへ飛び去って行ったものだったが、今年は、一本の木に何匹も、それも高木だけでなくアジサイやツツジのような低木にまでへばりつき、人が庭に出るとジジジジッと羽音を立てて飛び出してきては、身体に当たったり、その拍子にフェンスや家の外壁・窓にもぶっつかったりして、挙句の果てに地面に落っこちることがしばしばだった。そんな、仰向けにひっくり返った蝉の残骸が、自分の家の庭にも道端にもやたらと転がっている。
晩秋でもないのに、葉が茶色になって枯れ落ちる立木も。鉢植えの草花はもちろんだ。ちょっと水遣りをサボるとたちまち葉も茎も萎びてしまう。あまりにも暑くて外に出るのが億劫なので、庭の水遣りをロクにしなかったら、これは怪我の功名(というほどのことでもないが)か、芝生の雑草が伸びないので助かっている。

庭の柚子

庭のブルーベリー

いいこともある。2本ある庭のブルーベリーが、やたらと実をつけたこと。何度も摘んだのだが、未だに生っている。お蔭で今年はタップリと、美味しいブルーベリー・ジャムができた。と言っても自分ではなく家内が作ったのだが。芝生はサボったが、果実の生るブルーベリーと柚子にだけは水を遣っていたのが良かったらしい。
いつもだと、どうしても2~3個しか実をつけず、正月のおせち料理とお雑煮用に使ってしまうと終わりだった柚子も、今年は10個以上生っている。今はまだ青いが、少しずつふくらみを増し、十分実用に耐える大きさになりつつあるので、黄色くなる初冬が楽しみだ。

自分のことで言えば、今夏は例年に増して寝苦しい夜が多かった。こう見えて気温には敏感なので(単に暑がりで寒がりという説もある)、エアコンを点けて寝ていると直ぐに体が冷えて夜中に何度もトイレに行きたくなるし、かといって点けないでいると直ぐにじっとりと汗ばんできて夜が明けないうちに目が覚めてしまう。結局、そんなことの繰り返しでいつも寝不足気味だったが、それでも夏バテもせず、毎日けっこう忙しく仕事もこなして過ごしてきた。それというのも、過日の胃部検診以来の改心した食生活と、それを支えてくれている家内のメニューのお蔭と思う。
これまでだと、夏はなぜか食欲が増すため、好きなものをツイ腹一杯食べて、元気も出るがお腹も出るという状態だった。それが、食事の量と摂食態度(腹八分目でよく噛みゆっくりと)に気をつけるよう心がけてきたら、確かにそれなりの効果があって、前とくらべると、食後の膨満感はなくなったし、腹囲がベルト穴一つ分減り、体重も2キロ近く落ちた。もっとも、もともとそんなに太っていたわけではないので、これ以上痩せると逆に心配になってしまうが。

そんな中の8月も終る頃、珍しく午前中だけの用事で都内まで出かけ、午後がタップリと空いていたので、帰りの道すがら久しぶりに玉川T屋百貨店に寄ってみた。ここの4階のメンズ売り場は、いつか書いた渋谷のT百貨店本店と同様に、自分の好みに合うウェアを見つけることができるので、ときどきチェックすることにしている。
両店とも、気に入って買い物をするのは、別にその店だけにある特別なブランドというわけではなく、他の店にもあるブランドなのだが、品数・種類だけではなくて、何というか、品揃えの感覚のようなものが違うのだ。仕入れ担当者の感性の問題なのだろうか。だから気に入ったときには、ツイ、あれもこれもと、まとめ買いしてしまうことがある。

その日は特に何かを探していたわけではなかったので、フロアをあちこちブラつくだけに終始したが、その時点ではまだ8月だったというのに、どのブランドもコーナーも、すでに秋物一色。そうだった、こういう流行り物の商売は、季節を一歩も二歩も先取りしなければならなかったのだっけと、そのあたりのことに自分も敏感だった昔を思い出した。
この店では、奥さま同伴で“これにしなさいョ”と指図されつつ買い物をしているような小父さま方はあまり見かけず、夏の暑い日でもジャケットなどを羽織って独り悠々と品定めをしているお洒落なシニアが多いが、きっと、そういう方々に需要があるのだろう。

と、デパートには一足先に、そして自分の中にもそっと、秋は来たが、今年の異常な暑さがこれで影を潜めるわけではあるまい。きっともう1~2度、残暑はぶり返すにちがいない。

そろそろと夏は往きつつあるが、本格的な秋には、もう少し間がありそうだ。

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