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2007年7月

2007年7月30日 (月)

新宿いま・むかし

元来の低血圧のため梅雨は苦手、湿度の高い日は頭痛に悩まされるので、毎年、早く明けてくれと願っている。今年もそう思いながら鬱々としていたら、ここ数日は急に真夏のような太陽が照りつける日が続き、“暑くてかなわん”などと言いながらも喜んでいるところ。

さて、そんな暑くなり始めの日、仕事で久しぶりに新宿に出た。行く先は顧問をしているT社で、場所は京王プラザホテルとKDDIビルの間にある新宿モノリスビルだが、地上を歩いて行くと熱射病になりそうなので、JR駅の西口から都庁方面へ向かう中央地下道を通って行った。汗をあまりかきたくなかったので“動く歩道”に乗ったが、前後の人々につられてツイその上を早足で歩いてしまった。それでは意味がないっつーの。

動く歩道が地下道の右側に沿っているので、途中見るともなしに進行方向の左手に目をやっていると、様々なビル名や会社名の中で、工学院大学入口という表示が目についた。
工学院といえば、電子技術化という時代と新宿副都心化という一大プロジェクトの波に乗って大きく変貌し、今では一躍、繁華街に隣接し高層ビル街の一角を占める人気校になったが、自分たちが学生の頃は、そういっちゃあ何だが、新宿の外れという感じの場所にあった、建物も学風も地味な専科大学だった。そしてあの頃、その先は淀橋浄水場だったので、風向きの悪い日には、えも言われぬ臭いがプ~ンと漂ってきたものだった。

その一帯が今では、京王プラザホテルや都庁を初めとする高層ビル街に大変身。だが現在そこで働いている人々のほとんどは、恐らくそんな昔のことは知らないだろう。あれからずいぶん年月が経ったものだ、自分も歳をとるはずだ...などと、ぼんやり回想に耽っていたら、オッと足元に気をつけなきゃ。いつの間にか動く歩道が終っていた。

昭和30年代、小田急線も京王線もまだ路面を走っており、小田急線の発着はJR(当時は国電)の中央線下りホームから見えたのを記憶しているが、京王線の発着ホームがどこだったのかはどうしても思い出せない。若しかしたら南口の甲州街道沿いだったか。
ともかく、山手線の外側は、まだまだ戦後の混乱から抜けきっていない未整備の状態で、西口の線路沿いには、バラック建ての大衆食堂、飲み屋などが、狭い路地の両側に所狭しと並び、ラーメン・おでんの湯気にモツ焼きとアルコールとアンモニアのにおいが混じったような空気でむせ返るようだった。今でもその面影は、青梅街道の大ガード横から入る「思い出横丁」として残っており、「小便横丁」と通称されていた当時の雰囲気を彷彿とさせてくれる。コーヒー一杯が50円だったあの頃、30円で美味い手打ちのラーメンを供してくれた「岐阜屋」、30円あれば暖かいご飯と味噌汁とおかず一品にありつけた「鶴亀食堂」など、貧乏学生にとっては有難かった店が今も健在なのは嬉しいことだ。

T社からの帰りは、甲州街道沿いの地下道ワンデーストリートを通って南口に出た。南口も、線路を挟んで「サザンテラス」だの「タイムズスクエア」とかいうどこの国だかわからない名前のショッピング・ゾーンができて、様相が一変してしまった。 “欧米か!!”
そんな新宿で、街の区画がほぼ往年のまま残っているのが、東口の新宿三丁目一帯。洗練・整備はされて、店の種類や名前が変わり、行き交う人々のタイプも様変わりしたが、昔も今も相変わらずの賑わいだ。

今ではオフィス・ビルが駅の西側に集中していることもあって、自分はどうしてもそちら側に行くことが多くなり、東側にはめったに足を運ばなくなってしまったが、当時の自分たちにとって新宿と言えば、もっぱらこちら側だった。
学生の分際ではチョッと覗いて見ることはあってもなかなかショッピングとまでは行かなかった「伊勢丹」「三越」は、その頃から街のランドマークだったし(まさか両者が後年業務提携するようになろうとは夢にも思わなかったが...)、カレーライスと伊府麺が思い出しても美味しい「中村屋」には、アルバイトで懐が多少暖くなったときだけ足を運んだ。欲しい本探しに足しげく通い、思わず時間を忘れることもあったのは「紀伊国屋」。あの頃は入口付近でペットなどを売っていたような気がするが、今はどうなのだろう。

音楽と映画に夢中だったので、なけなしの小遣いをはたいては、よく「コタニ」や「帝都無線」にレコード・楽譜を買いに行った。そして「武蔵野館」や「スカラ座」や「日活」とその「名画座」では、ずいぶん沢山の洋・邦画の名作を見た。家内と知り合ったばかりの頃、グレン・フォード主演の「ポケット一杯の幸福」という映画を見るため、駅の向かい側にあった食品デパート「二幸」前で待ち合わせをしたこともあったっけ。
お腹が空くと、何でも50円均一で和洋中華食からコーヒー紅茶はもちろん大概のソフトドリンクまで揃っていた大衆食堂「三平」へ。100円で十分幸せな気持ちになって下宿への帰途についたものだった。

あれから半世紀近く経って、「日活」は「マルイシティ」に変り、「二幸」は「アルタ」になったが、「食堂三平」は総合食品企業に発展し、「帝都無線」も「武蔵野館」も全国に拠点を拡大して頑張っている。

新宿に来ると、人の多さには圧倒されるが、同時にエネルギーをもらえるような気もする。

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2007年7月23日 (月)

食品メーカーの体質

中国の“ダンボール入り肉まん”事件は論外だが、日本国内でも、さかのぼれば「雪印」、ついこの間は「不二家」、そして最近の「ミートホープ」と、人の健康・生命に関わる業種なのに、食品関連企業での不祥事が多過ぎる。マスコミの話題になっているのは数社だが、あえて“多過ぎる”と言っているのは、こういった事件で明るみに出るのは恐らく氷山の一角に過ぎないと思えるからだ。
もちろん、良心的なメーカーも多いとは思うが、この業種の企業体質の深いところに、何か消費者の理解できない“業界常識”が沁み込んでいるのではないかと勘ぐりたくなる。

引き合いに出すのはもしかしたらお門違いかも知れないけれど、つい最近、自分の身辺でも、食品(具体的には洋菓子)の購入に関して、チョッと引っかかることがあった。
翌日の午前中に来客があるという日の晩(7時40分ごろ)、家内が近所のT百貨店の食品売り場で、「M」という洋菓子メーカー(神戸に本社がありロシア風の社名)の売り場で、ショウケースに並べられていたレア・チーズケーキ(ホール)を購入した。素人考えかも知れないが、買ってから丸一日ぐらいは保つだろうと思ってのことだ。で、支払を済ませ、包装された商品を受け取ろうとすると、“今晩中にお召し上がり下さい”と言われたそうな。
今晩中って言われたってあと4時間くらいしかないし、その時間内では自分たち古稀の夫婦がどう頑張っても食べきれない。明日の午前中ぐらいは大丈夫だろうと思ってそう家内が問い返すと、“イエ、今晩中です”とダメを出されたという。

代金は既に支払って品物は受け取ってしまったし、“あと4時間のうちに食べなければならないのだったら要らない”とも今更言えないと、家内は、その場は一たん引き下がったが、どうも釈然としなかったらしく、帰宅してからその売り場に電話をして、なぜ先に(これを下さいと言ったときに)、“賞味期限は本日中(すなわちあと4時間)ですがよろしいですか?”と言ってくれなかったのか、また、どうして賞味期限まであと4時間しかないものを何の表示もせずに売っているのか?という意味のことを申し立てていた。
自分も傍らでそのやりとりを聞いていて、“今晩中に食べ切らなければならないものだったら、それと知らずに夜の8時近くに買おうとしたお客さんには、先に言ってくれるのが店の親切というものじゃあないのか?”と思っていた。

しかし相手(販売員)は、品物を渡すときに(賞味期限を)言うのが、そしてそれをあえて事前表示しないのも、会社の方針であり、特にそのことに問題があるとは思わないと言うばかりで埒が明かず、やりとりが感情的になってきたので、自分が代って電話に出た。
だが、話は結局同じことの繰り返しで、販売員は定められた会社の方針に従っているだけということがわかってきたので、その方針の拠りどころについて責任者の話しを聞きたいと思い、電話を要請した。間もなくM社の「東京支店」営業部長と名乗る人物から電話がかかってきたので考え方を聞くと、要するに、タイミングはどうあれ“今晩中にお召し上がり下さい”と断ることで食品メーカーとしての説明責任は果たしており、それ以上のことは考えられないということだった。

そこで、「C鮨」(首都圏一円の百貨店・スーパー・ショッピングモールのインストア店、繁華街・盛り場のロードサイド店などを手広く展開しているテークアウト寿司チェーン)では、すべての寿司のパッケージに貼ってある価格シールに、製造日(当日)と時刻(1日2~3回転するようだ)とそれに伴う賞味期限(時刻)が記載してあり、期限が4~5時間以内になるとその分は値引きをしているし、「Hフルーツ」(同じT百貨店内に販売店がある青果・和洋菓子チェーン)では、当日製造のフルーツケーキを、閉店1時間前くらいになるとやはり、売り切りのために価格サービスをする。どちらの場合も客はそれを事前確認して、納得の上で購入しているが、そちらではそういうことを考えないのかと、消費者としての素朴な質問をしてみた。だが意見が噛みあわず、結局それはできないという結論。

この一連の会話でわかったことが一つあった。この会社のレア・チーズケーキは、前日製造したものを当日の朝店頭へ配送しているということ。それなら尚更、注文を受けて、品物を包装し、代金を受け取り、引き渡してからではなくて、事前に、賞味期限を表示しておくか、口頭で断るかしなければならないのではないか?あるいは、製造・配送も前日だけでなく当日も、何度も小まめに行うべきではないのか?そう疑問を提したら、その東京支店営業部長は“ご意見は承っておきます”という答えで、基本ポリシーは譲らなかった。
これは、食品メーカーに限らず自社の製品に自信を持ち過ぎているトップ・メーカーによくある顧客対応で、消費者ではなく自分たちの立場からしか物事を考えられず、自分たちの基準で決めたルールが絶対に正しいと思い込んで(あるいはそう信じさせられて)いることがよくわかり、販売業・サービス業などの場合の顧客対応とくらべて違和感を禁じ得ず、これだから時に取り返しのつかないところまで行ってしまうのかなという気がした。

なお、仕事上の参考にもなるので、この件についての会社としての公式見解を文書のかたちで欲しいと要求したら、2~3日後に、同社の「お客さまサービスセンター」室長の名義で手紙が届いたが、内容は東京支店営業部長との対話とほとんど同じ。問題を店頭販売員の“説明不行き届き”というところに結論づけ、“今後は「お早めにお召し上がり下さい」というご案内を確実にお伝えするように努める所存”と結んでいた。が、“事前に伝えるようにする”とは一言もなく、東京支店営業部長に対して提示した自分の意見は、型どおり、“今後の参考に”という受け止め方をされただけだった。

この会社のホームページに記載されている社長の言葉を見ると、“すべてはお客様の笑顔のために”というスローガンを掲げ、“顧客満足活動の強化”を高らかに謳っているが、あれからしばらく経った今も、店のショーケースには何の変化もない。

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2007年7月16日 (月)

ニューヨークこぼれ話

早いもので、ニューヨークから帰ってからもう3週間経ってしまった。再三で恐縮だが、もう1回だけNYネタでご容赦願いたい。いくつかあるので今回は箇条書きで。

AA(アメリカン航空)
米国内に着いてからあちこち回るのに便利だったので、これまでも比較的よく使っていたが、前回乗ったのは2002年の夏。久しぶりのJFKターミナルはショップやカフェも一新して、随分きれいになっていた。ダラスに本社があることと関係あるかどうかわからないが、ヒスパニック系のスタッフが増えたような印象も。機内は、エコノミーとはいえどうもシートの前後左右が狭くなったように感じたが、気のせいか。食事もあまり力が入っていない感じで、CAもセカセカしていた。可笑しかったのは、往きのフライトで明らかに日本人顔の男子CAが、なぜか自分には英語でしか話しかけなかったこと。他の日本人乗客とは純日本語で話をしていたのに。最初英語で話しかけられたときツイ反射的に英語で答えてしまったのがいけなかったか?あるいは自分が国籍不明に見えたのか?(まさか !!)

ブリート
帰国の朝、何も口に入れずにホテルを出たので、遅い朝食をと、AAの第4出発ゲートのすぐそばのカフェに入った。その前の日まで朝はいつもベーグルだったので、その日は何か違うものをと考えていたら、メニューに“Burrito”なるものを発見。何やら良さそうな直感が閃いたので、3つほど種類があった中のベーコン・炒り卵・チーズ入りをオーダー。そしたら来ました!美味しそうなヤツが!上記3種の具を、軽く焼き目をつけたフワフワの薄焼きパン(トルティーヤ)でしっかり巻き、真ん中で斜めに切り分けたもので、添えられていた甘口のサルサ・ソースをつけながら頬張ったが、うまかったのなんの!長い間ニューヨークに来ていながら今まで知らずにいて恥ずかしくもまた損をした気持ち。帰ってからインターネットで調べてみたら、日本でもメキシコ料理店などで食べられるらしい。

ベーグル
これは米の飯と同じで、いつ食べてもいくら食べても飽きない。ニューヨークの食品店ならどんなところでも売っており、有名店のではなくてもそれなりの味があり、それに安い。なのに日本で売っているベーグルはどうしてあんなに高いのだろう?ニューヨークの倍かそれ以上だ。今回は来る前から、毎日朝はベーグルとクリームチーズと決めてきたが、具合のいいことにわざわざ買いに出かけずとも、コンファレンスのサービスとして付いている毎朝のコンチネンタル・ブレックファーストで十分堪能することができた。米国のこの種のコンベンションでは、ブッフェ・スタイルの朝食、テーブルでの昼食、午前・午後1回ずつのリフレッシュ・ドリンクは付きものだが、今回のDMD(DM Days New York 07)もそうで、ある程度予期していた通りここでベーグルを楽しめたのは嬉しかった。

ダブル・オードブル
DMDのランチは、3回のうち1回がキーノート・スピーチと一緒のランチョンで、これは普通のコース料理。あとの2回はボックス・ランチ――すなわちサンドイッチとフルーツを中心にした“洋風弁当”(アイスティーまたはレモネード付き)だが、ヴォリュームが半端じゃない。サンドイッチといっても、どデカいコッペパンの横腹にチキンまたは生ハムまたは野菜のみ(オプションできる)を無造作に挟んだもので、必ず大袋のポテトチップスがついている。このボックスはもちろんコースのときも、毎回とても食べきれなかった。シニアと言われる歳になってくると、このように摂食量がグッと少なくなってくるが、高級レストランでも失礼にならずかつ無理のないオーダーのし方を、数年前トム・コリンズ氏(ラップ&コリンズの創立者の一人)と食事したときに教わった。コース料理なら、メイン・ディッシュの代りにオードブルをもう一つ頼むのだそうな。なるほど。

メトロカード
あちこちに出かけるためメトロカード(地下鉄・バス共用)を購入しようと、ホテルの向かい側のペン・ステーションの自動販売機に並んだ。前で年配のご夫婦が何度も10ドル札を入れては上手く行かずやり直しをしていたが、とうとう“どうぞお先に”と自分に番を譲ってくれた。礼を言い、複雑なプロセスにしたがって何段階もボタンを押し、カードを手に入れ振り返ると、先ほどの老夫婦がまだ後ろで待っていた。解説付きでカードを買ってもらえないかと言う。詳細は省略するが、あれはなかなか面倒なステップが必要だから、たとえ米国人でもまごつく人がいて無理はない(自分も初めは駅員に教わった)し、その通りにしてあげた。そう言えば、自分はよほど人畜無害に見えるのか、これに限らず道や地下鉄の路線を聞かれたりするのはしょっちゅうで、若い頃には、米国人女性に横断歩道を渡るのに手を貸してくれと言われたり、スーパーで買い物の相談をされたりしたこともあった。でも、女性といってもご高齢の方ばかりだったので誤解のないように。

ヨーキー
ホテルからチェルシーの住宅街の方まで散歩に出かけたとき、またソーホーの目抜き通りを歩いていたとき、都合3匹のヨークシャー・テリアを見かけた。当たり前だが、日本で見るヨーキーと変わりなく、大きさも毛色もムッシュとよく似た子ばかりで、思わず“ムッシュは今ごろどうしているかな”などと里心がついてしまった。何れも妙齢のお姉さんに連れられており、あまりしげしげと見ていると怪しまれかねないので、そっと横目で見送るようにしていたが、ソーホーのヨーキーは人込みの中すぐに抱え上げられてお店に入って行き、見えなくなってしまったので、思わず追いかけ自分もその店へ。で、店内を眺め渡したがもうわからず、気がつくとそこは女性下着専門店のビクトリアズ・シークレット。男性もいないわけではなかったが、思わず赤面して店外へ出たというお粗末。

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2007年7月 9日 (月)

忙中閑あり

...というか、ニューヨークから帰った翌日から、仕事やらプライベートの用件やらで数日忙殺され、また7月の第1週も予定がギッシリと入っていたので、ここしか空いているところはないと、6月末から7月初めにかけて1ヵ月ぶりに清里の山荘へ行ってきた。
出かけた日は横浜で30度、甲府で31度という、まるで梅雨明けのような暑さだったが、韮崎を過ぎてからは例によって、標高が100メートル上がる度に気温は1度ずつ下がり、到着したときには19度。もう7月になろうかという時季だからさすがに前回までのように寒いというほどの感じはなかったが、やはり、半袖のままでは長くいられなかった。

いつもより1時間くらい遅く午後3時過ぎに出発し、途中も八王子インターまでがえらく渋滞したので(談合坂で途中休憩もしたし)、山荘に着いたのは7時半近く、ムッシュの晩ご飯も1時間以上遅れたが、何にもグズらず、ずっと後部座席で良い子にしていてくれた。
もうほとんど日が暮れていたので、その日は何もしなかったが、前庭に車を入れるとき草ぼうぼうになっているのが眼に入り、明日は草刈りをしなければ...と思った。
が、翌日になってみたら、あいにくの雨。やってやれないこともないのだが、こんなに密生しかつ丈も長くなると、濡れたままでは刈り払い機の刃に絡まってしまうので、晴れ間を待つことに。1ヵ月来ないとこれだもの、まったく日本は植物の成長が早い。

もちろん木々の葉も完全に開ききって、前回来た時は遠くまで見晴るかせたのに、もう空もお隣の建物もロクに見えないほど。特にミズナラとカツラの枝がまた一段と上に伸び横に広がって、後で植えた(といってももう20年近く経っているが)コブシやナナカマドやヤマボウシの成長の邪魔をしている。
このように伸び放題にしていると、目には青々として気持ちよく、夏などは陽射しを遮って庭一杯に涼しい木陰をつくってくれていいのだが、森全体の植生のためには決して良いことではないらしい。今年は専門の人に頼んで、かなりの本数を伐採してもらわなければなるまいと家内とも話し合った。

二日目は朝から一日中雨が降り止まず、結局家の中に籠もりっきりだったが、別に時間をもてあましたわけでもなかった。自分は仕事を持参してきていたのでそれに集中、家内もやることはいくらでもあると家事に専念し、ムッシュだけが所在なさそうだった。家の中を歩き回ってはママやパパにじゃれつき、相手をしてもらえなくなると自分のハウス(わが家へ来るとき持たされてきた長年愛用の籐で編んだベッド)で眠るほかなかったのだが、涼しくて休養にはなったはずだ。
それにしてもムッシュは、初めて連れて来たころは夜間1階の一部屋で独り寝かされ、ママとパパが2階へ行ってしまうとヒーヒー泣いて淋しがっていたものだが、最近は夜もすぐに寝ついて熟睡、朝は目が覚めていても誰かが降りてくるまでワンとも言わずにジッと待っているし、昼寝もよくするようになった。ものの道理がわかってきたのだろうか。

三日目は晴れ。持ち込んだデスクワークは昨晩のうちに終えていたので、午前中は本領発揮の――とはチト大げさで、それぐらいしか役に立てない――力仕事。伸び放題に伸びた前庭の草を、刈り払い機を振るってきれいに刈り取った。本当は横庭・裏庭の笹も、伸びきらないうちに刈りたかったのだが、それを始めると1日では済まなくなるので、無理はすまいと次回にとって置くことにした。
いい汗をかいて、お腹も空いたので、昼シャワーをしてから久しぶりに藤乃家へ蕎麦を食しに。前回も前々回も時間がなくて行けなかったので2ヶ月半ぶりだったが、いつもながら美味い。家内に言われて気がついたが、20年余り通っているうちに世代交代も進んだようで、店主の息子(らしい)が蕎麦を打ち、親父は客と無駄話をしていた。店員も、以前の見るからに地元の小母さんという感じの年輩の方から、グッと若く小ぎれいなお姉さんに変っていた。

四日目は帰宅の日だが、ムッシュの晩ご飯までに着けばいいと午後2時ごろに出ることに。掃除やポリタンクへの水詰め(水道水がミネラル・ウォーターなのでいつも100リッター前後持ち帰る)などの帰り支度はあらかた前日に済ませていたし、それまでゆっくりした。
道中も、談合坂SAでムッシュと同じヨーキーのアダム君という子と知り合い、のんびりと遊んでいたら、そのあと渋滞に巻き込まれてしまった。よく考えればその日は日曜日、混むはずだ。最近はいつもウィークデーにばかり走っていたため渋滞に対する堪え性がなくなってしまい、こりゃあたまらんと上野原から国道20号線に下りた。
急がば回れとはよく言ったもので、これが大正解。相模湖町の街中で信号待ちしたぐらいで、大垂水峠も難なく越え、高速を使っていた場合よりは多分30分は早く八王子市内を通過、ムッシュを空腹で泣かせずに済んだ。

前回とくらべてたった1日長いだけだったが、中2日ある三泊四日は、中1日の二泊三日とはユッタリ感に随分違いがあるもので、身体も休まった上に、何だか余裕を持っていろいろなことができたような気がした。

何かと忙しかった前後の一週間に挟まれた文字通りの“忙中閑”だったが、リフレッシュできた数日だった。

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2007年7月 2日 (月)

ソーシャル・メディアでマーケティングが変わるのか?――DM DAYS NEW YORK 07から

ジャヴィット・コンベンションセンター今年もK.ジャヴィット・コンベンションセンターで、6月19日から3日間、毎朝8時半から午後5時(最終日は午後3時)まで(レセプションを入れると午後7時までのときも)、9つのトラックにわたる1日26~27合計約80のセッションと、3日で4つのキーノート・プレゼンテーション(基調講演)が行われ、1100社以上におよぶダイレクトマーケティング関連サービス企業の出展があった。
キーノート以外は、同じ時間帯に複数のセッションが同時進行するので、自分1人では必ずしも興味あるセッション全部に参加するというわけには行かず、目一杯がんばってはみたものの、カバーできたのは結局キーノート全部と、初日4、2日目と3日目それぞれ3、計10の同時進行セッションのみ。いつもながら、こういう機会に参加するのは、できたら複数がいいのではないかと思う。といってもそれは、どれをとっても参加する価値のあるセッションばかりという前提があってのことで、カタログ上のタイトルとリード・コピーに惹かれて選んだ結果が大はずれということもあるから、なかなか難しい。

今回は「ソーシャル・メディア」がコンファレンスのメインテーマで、キーノートはすべてそれに関連するもの。だからなのかその形式も、聴衆までもその中に引き込もうとするパネル・ディスカッションだった。4つのうち1つを除いてはIT関係者が主役となって、“ソーシャル・メディアはもはや一時的な現象ではない、ブランディングや商品・サービスの選択において消費者に多大な影響力を発揮する存在になっている、これまでのダイレクトマーケティング・モデルはもう古い”というような論調だったが、何か釈然としなかった。
さらにDMA理事長のジョン・グレコも、“ソーシャル・メディアがダイレクトマーケティング業界にマインドシフトをもたらす、いずれリストやデータベースに基づくビジネス・モデルはこれに取って代わられる”とまで言っていたが、これはいささか自己矛盾していて軽率な発言ではないかと思った。というのも、展示会場では相変わらず、ダイレクトメールやカタログなどオフライン・メディア関係のマーケティング・サービス業者のブースが一番多く、同時進行セッションでも、オンライン・マーケティングとインタラクティブ・メディアのトラックがその重要な一角を形成していたのは事実であるにしても、大勢は依然として、戦略プランニング、クリエーティブ、リストとデータベースマネジメント、ブランディング、顧客獲得とリレーションシップマーケティングとロイヤルティプログラム、フルフィルメントなどの基本的トラックによって占められていたからだ。

とても気になったのは、話の端々から、彼らがダイレクトマーケティングというものを“販売”という側面からしか認識しておらず、しかもオンライン・コマースを中心にきわめて狭い意味に考えているらしく感じられたこと。ご承知のように自分は、ダイレクトマーケティングというものをもっと広義にとらえて、“その原理とシステムには、今日、伝統的・一般的なマーケティングにも適用されるべき汎用性があり、インタラクティブ・メディアとデジタル・テクノロジーはそのためのさまざまな局面で中心的な役割を果たす”という意味の主張を展開しているが、そういう大局的な観点からの話が、今回はほとんど聞けなかったのはまことに残念だった。
その中でさすがに、ダイレクトマーケティング・エージェンシー3社(ドラフトFCB/ラップコリンズ/オグルビーワン)からの代表者たちは、現実を冷静に見ていると伺い知れた。彼らは、“ソーシャル・メディアについては、コミュニティのメンバーを獲得するのもさることながら、それを顧客にコンバートして定着させて行かなければならないという問題がある、しかしその手法はまだ十分に開発されていないし、効果測定のベンチマークも確定していない”という見方をし、“だから自分たちはまず、その中でのさまざまなタッチポイントを探り出し、そこを足がかりにダイレクトマーケティングのセオリーに基づいてテストを重ね、それらの問題に対する答を出して行くだけ”というのだ。

ソーシャル・メディアの出現によって、企業のマーケターがこれまでのやり方だけで成果に対する制御力を行使するのが簡単ではなくなったのは事実だし、だからこれからはマーケター自身もその中に入り込んでメッセージを発信し、そこで交わされる会話の大勢に影響力を及ぼすような活動を考える必要があるという意見も当たっているだろう。しかし、ブログを書いてはいるものの、Second LifeとかMySpaceとかYouTubeとかMiXiとかには首を突っ込んだこともないので勉強不足かもしれないが、自分にはこれらソーシャル・メディアと総称されるものが、これまでのビジネス、マーケティングの枠組み全体を根本から変えてしまうような存在になるとはどうしても思えない。
これらは、コミュニケーションのあり方とそれによる結果の発生のし方の可能性を拡大し、新しい画期的なバリエーションを一つ増やしたかもしれないが、決してそれまでのすべてに取って代わるわけではなく、それらとクロスしながら共存して行くような気がする。

企業活動の最終目的は言うまでもなく収益の追及だが、サーチであれソーシャル・メディアであれ、それ自体は企業目的ではなく目的を達成するための手段だ。そして企業には、その業種・業態・客層によって、成果を発生させるために本来最も適切なコミュニケーションと流通のチャネルがある(ソーシャル・メディアがたまたまそれに当たる場合があることは否定しないが)。
だからソーシャル・メディアは、もともと理由があって使われ続けてきたチャネルをあくまでも中心に置いた上で、その成果を支援・増幅するためのものと位置づけ連動的に使うのが最も有効なのではないだろうか?問題となっている効果の測定も、それによって本来のチャネルで発生した改善の度合いを測定し、“サポート効果”として評価すればいいのではないかと考える。そしてその効果を生み出すには、何も目新しいことではないが、テクノロジーだけはでなく、戦略プランニングとクリエーティブが同様に重要ということだ。

ところで、かつてこういう場に臨んだときとくらべると今回は、自分の立場が企業人ではなく個人に変化したせいか、何か必ず持ち帰らなければならないという義務感・切迫感がなくなり、また自分の中に蓄積してきたものの厚みが多少増しているように思えたこともあって、余裕を持って客観的に話を聞けたような気がした。
新知識吸収・新情報獲得という面ではどの程度成果が上がったか定かではないが、ともあれ、このブログなども含めて自分がこれまでやってきたことや今やっていることの意味と、これから何をすべきかが再確認できたように思えた3日間ではあった。そして、あえて老骨に鞭打って単身海外に出かけ、短期間とはいえ自分を厳格に拘束して一つのことに集中してみて、気力的・体力的にまだまだやれそうだという自信もついた。

残念ながら、DMA前理事長のボブ・ウィエンツェンをはじめ、こういう機会によく顔を合わせていたニューヨークの古い友人たちは既にみな引退し、再会することはできなかったが、その代わりに奇しくも異国で、日本でこれからのダイレクトマーケティングを背負って立つべき次世代の人々との縁が新しくできたし、機内では分野は異なるがやはり自分の仕事に一途に打ち込んでいる若い人と隣り合わせて旅の会話を楽しむこともできた。

あまり変化のなかった日常の中で、チョッピリ刺激を受け、再モチベートされ、気分転換もできた、自分にとってはそれなりに有意義な1週間だった。

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