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2007年6月18日 (月)

では、ニューヨークへ行ってきます

本日の夕刻、アメリカン航空でニューヨークに発つ。プライベートで3年ぶり、仕事では5年ぶりだが、プライベートはいつも家内と一緒だし、仕事の時はここ10年くらい誰か連れがあったから、単身でのニューヨーク行きは15年ぶりになる。
今回はもちろんコンファレンスでの勉強・情報獲得と人脈アップデートが主目的で、街をあちこち歩き回るほどの時間的余裕もないタイトなスケジュールだけれど、泊るところがペン・ステーションのそばで地下鉄やバスの便も良いので、合間を縫って、せめてヴィレッジやソーホーやチャイナタウンなど、ダウンタウンに行けたらと思っている。

だが、今でこそこの14丁目以南は、西から東まで表も裏もすっかり安全でファッショナブルな街区になっているが、自分が初めてニューヨークの土を踏んだ40年前は、足を運ぶのにまだまだ勇気が要る地域で、ヴィレッジのジャズ・ライブハウスも、ソーホーの前衛的アート・ギャラリーも、チャイナタウンの本場ものの飲茶も、話に聞くだけだった。
40年前といえば、まだ1ドルが360円の時代。世界のリーディング・エアラインはもう存在していないパン・アメリカン航空(通称パンナム)で、現在マンハッタンのグランド・セントラル・ステーション上に建っているメットライフ・ビルは当時パンナム・ビルと呼ばれ、壁面にパンナムの大きなロゴマークが掲示されていた東西に長い八角形平面のその建物は、当時のニューヨークのランドマークの一つともされていたものだった。

その時期、自分は日本リーダーズダイジェスト社の音楽事業部門を担当していたが、たまたま会社全体の著しい成長に寄与するような業績をあげたということで評価され、ご褒美の意味も含めて、米国の本社を始め世界各国の系列オフィスに表敬訪問と研修のために派遣されることになった。日程は自分で好きなように決めていいし、国際線はオール・ファーストクラスという、今では考えられない有難い話だったが、何しろ初めての海外渡航なのでどう旅程を組んだら良いか見当もつかず、米国人の社長や外国通の専務に相談しながらまとめた結果、1ヵ月半で世界一周することになってしまった。それもたった一人で。
宿泊するホテルはすべて行く先々のオフィスで予約しておいてくれ、空港にはそこの誰かが迎えに来てくれることになってはいたが、それでも、果たして何事もなく帰ってくることができるかどうか、正直なところ本人としても心もとなかった。

研修プログラムの中には、フロリダのマイアミビーチで行われることになっていたリーダーズダイジェストの年次国際会議への出席も含まれていたので、最初の上陸地は米国になったが、直行便などはまだ影も形もなかった頃。真冬に羽田を発った(成田は未開港)のに、ハワイのホノルルで炎天下2時間の給油待ちをしなければならなかった。
そういう時代だったから、ホノルルからニューヨークまでも一気に飛ぶのはたいへんだということで、一息入れる意味もありまずはロサンゼルスに2泊した。

ロサンゼルスは小春日和だったが、ニューヨークに着いてみると大寒波が襲来していた。東京の冬支度はしてきたが、そんなものではとても役に立たず、外気に晒されたとたん、氷点下の寒さに震え上がった。
さらに翌日は大雪の洗礼。でも予めの約束だったので、提携先のRCAレコード本社のお偉方を表敬訪問。で、有名レストランで食事をご馳走になったり、ブロードウエーに案内してもらったりしたが、新調して行った一足きりの靴が雪道でグチャグチャになってしまい、足元が冷たくて情けなくて、折角の厚意も上の空だったことを覚えている。

この寒いニューヨークには3日間滞在して、次の1週間を今度は暑いフロリダで過ごし、その後再びニューヨークに戻ってきた。今考えると、“真冬→真夏→真冬”とコロコロ変った気候条件に、よくもまあ体調を崩さなかったものだと思う。やっぱり若かったのだろう。それと多分、緊張しっ放しだったからかも知れない。
幸い数日の間に、ニューヨークの雪はあらかた消え、靴も何とか使用継続可能な状態に戻っていた。リーダーズダイジェストの幹部も皆、フロリダからニューヨークに帰ってきたので、研修のためにプレザントビル(ニューヨーク州ウエストチェスター郡の小村)の本社(当時)とパンナム・ビルの営業本部(当時)を訪ねることになった。

プレザントビルはマンハッタンから北郊へ鉄道で約40分。パンナム・ビルとの間をワゴン車の定期便が1日2往復していたので復路はそれを利用したが、往路は列車でコトコトと。
当時のリーダーズダイジェスト本社は、いわゆる“オールド・アメリカン・スタイル”の、歩くと廊下がギシギシいうような古い由緒のある木造建築で、“ゲストハウス”というこれまた年代モノの宿泊・接待用別館が付属していた。そこに確か2泊したのだが、朝・昼はそこで執事夫婦にかしずかれての食事、夜は幹部社員の自宅に招かれての歓迎攻めで、まことに、ホスピタリティとはこういうことを言うのかと深く感じ入った。古き良き時代の米国企業にはこんな一面もあったのである。

初めての米国での最後の2日は、プレザントビルから戻ってマンハッタンで過ごしたが、研修目的はあらかた達したので、仲良くなったニューヨーカーの同僚たちが街歩きを付き合ってくれることになった。
その時はどこをどう移動していたのかさっぱりわからなかったが、厚さが3センチもある酸っぱいトマトだけのトッピングで真っ赤っ赤のピザをトライしたり、ストリート・ミュージシャンがジャズを吹いている公園で皆で指を鳴らしながらスウィングした記憶があるから、多分ヴィレッジやリトル・イタリーに連れて行ってもらったのだと思う。自分も、ホテルのそばにあった日本料理店(たしか「江戸」だった)で、彼らが一度トライしてみたかったと言っていた刺身や天ぷらや寿司や蕎麦のオーダーのし方、正しい食べ方を手ほどきして喜ばれた。今でこそ日本人顔負けの日本食通ニューヨーカーはそこいら中にいるが、その頃はけっこうレアな存在だったのだ。
また、一人で散策する時間も少しだができて、ほんのわずかな間だったけれども、やっとこの街の魅力をチョッピリ垣間見たような気がした。

その時は予想もつかなかったが、あれから延べどれだけの年月をニューヨークで過ごしたことか。それでもニューヨークは、いつ何度訪れても飽きることがなく、常に何か新しい刺激・発見があり、空気を吸うと元気が出るような気がする。サテ今回は何を発見できるのだろうか?遊びに行くわけではないが、明日からが楽しみだ。
まるで、そんな自分の期待に合わせてくれたかのように、先週末の金曜・土曜にNHKの第1とBSで、リアルタイム中継を含んだ長時間にわたるニューヨーク特集があった。いつになくテレビの前に釘付けになってしまい、いま、気分はいやが上にも盛り上がっている。

この顛末は、多分、来週・再来週に報告できると思う。

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