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2007年6月

2007年6月25日 (月)

ニューヨークから帰ってとりあえず報告

行ったと思ったらもう帰ってきてしまった。歳をとると時差ボケからの回復が遅くなって、一晩グッスリ寝てもまだ時々フッと引き込まれるようになるが、体調全般としてはすこぶる気分爽快で、疲れてもいない。
半 日時差のあるよその国へ行ってきたわけではあるけれど、日常の連続だったような気がして、何の違和感もなかった。行く前は久しぶりと意識してあれこれ思い を巡らしていたのだが、現地に着いてみるとさして特別な感懐も湧かず、帰るまでズッとそのままだった。まあニューヨークという街は、自分にとって馴染みす ぎるほど馴染んできた街であるから、自然に溶け込んでしまったのかも知れない。

今回は、毎日早朝から遅い午後まで目一杯、コンベンション・センターに詰めっきりで、自由にしていられる時間は夕方以降くらいしかなかったので、と てもショウや美術館などに足を運ぶ余裕はなく、ごく限られた地域内でしか動けなかったのだが、それでも折角だからと地下鉄と自分の足を使って、いまの ニューヨークを歩き回ってきた。

ペンシルバニア・ホテル今回泊ったところは、これまでなぜかあまり縁のなかったヘラルド・スクエアと通称さる地域にある「ペンシルバニア・ホテル」。グレンミラーのヒット 曲に電話番号が出てくるぐらいの古いホテルで、大きくて交通の便は良いが、とかくの評判を聞かなかったわけではないので居心地を懸念していたが、まずまず 基本的なことでの問題はなかった。予算の関係とコンファレンス会場(ジャビット・センター)への地理的利便性からここにしたのだが、結果はオーライという ところ。
マンハッタンの巨大ターミナルの一つ「ペン・ステーション」と、その上に建つスポーツ・イベントなどでよく知られている「マディソン・ス クエア・ガーデン」(自分たち世代にはスポーツ・バッグのロゴでも懐かしいが)の真向かいにあたり、すぐそばに「エンパイアステート・ビル」や「メーシー ズ」百貨店があるといえば、何となく想像がつくだろうかエンパイアステート・ビル

この辺りは、ミッドタウンには違いないが、通りの雰囲気や歩行者のタイプは、明らかに“アッパー...”と呼ばれるロックフェラーセンターあたりか らセントラル・パークまでの一帯のそれらとは異なり、“雑多”で“大衆的”。ミッドタウンとダウンタウンのいろいろなエリアがミックスされたようなところ なのだが、だからと言って、チャイナタウンに代表される安くて美味しい食事ができる店がそこいら中にあるわけでもないので、晩飯の場所を見つけるのが難し かった。
アメリカン・フードは決して嫌いな方ではなく、むしろベーグルとクリームチーズやパストラミ・サンドなどは大好きなのだが、それでもこれ が朝・昼と2食続くと、量と味覚の点で、どうしても一日一回くらいは和食が欲しくなる。で、結局2度ほど、食べ慣れた和食の店が何軒もあるアッパーの方へ わざわざ地下鉄に乗って出かけた。

着いた晩は近所のアジア系デリで、プラスティック・カップ入り超薄味の怪しい“シーフードうどん”なるもので間に合わせ、帰国の前の晩は帰り支度に 忙しかったのでメーシーズのデパ地下でテイクアウトした寿司ボックスをホテルの部屋で食べたが、二日目は55丁目のラーメン屋まで足を運び、三日目は偶然 会場で知り合った日本からの参加者の方(業界ではけっこう名前の売れているダイレクトマーケティング・エージェンシー)に、初対面にもかかわらず49丁目 の日本料理店で、厚かましくもご馳走になってしまった。
そんなわけで、足を運んだついでに、家内と行くときには定宿にしているホテルのあるその近 辺を南北に7~8ブロック、東西に2~3ブロックほど歩き回ってみたが、店や人通りも相変わらずだったような気がした。ただ、ヘラルド・スクエア周辺と 違って自分が隅から隅までよくわかっているだけに、歩いていてより気楽ではあった。

ソーホーソーホーには、家内と行くたびに必ず立ち寄る「ディーン&デルーカ」という食料品とキッチンウエアの店がある(日本でも最近あちこちに出店してい る)ので、コンファレンス最終日の午後に、この店オリジナルのチョコレートを仕入れに、やはり地下鉄で向かった。プリンス・ストリートという駅で降りる と、階段を上がった目の前にその店はある。ついでに道を挟んだ隣の「AX(アルマーニ・エクスチェンジ)」も覘いてみた。ここでは必ず、自分や家族の気に 入るカジュアル・ウエアが何かしら見つかるからだ。
また外へ出て、メイン・ストリートのブロードウエイをブラブラしてみたら、変らないニューヨー クの中でも、ここでははっきりとした変化に気付かされた。この一帯は有名ブランドが出店しては撤退するファッション激戦区なのだが、バナナ・リパブリック とリーバイスに挟まれて日本のユニクロが出店していた。中に入るとなかなかのインテリアの大型店で、けっこう客も入っていた。成功すると良いのだが、商品 次第だろう。

しばらく来なかったうちに、ソーホーはえらく観光地化してしまったような気もする。数年前までは、5番街などとは違ってセンスはあるが構えていない 感じの、あまり混み合っていない店に寄って気楽に買い物ができたのだが、今は路上も店も観光客らしい人たちで一杯。以前にはなかったのだがブロードウエイ に面した2~3の街角には、その人込みを眺めながら食事やお茶をするカフェもできた。何だか、パリやローマの盛り場に似てきたような気がしてソーホーらし さが少しなくなったのが気になるが、余計な詮索か。
観光客目当てのドリンク類を売る屋台も沢山出ていて、この日の午後は急に暑くなったので自分も 他の歩行者と同じように、水分補給のためのミネラルウォーターのボトルを買って、歩きながら直か飲みした。そういえば、ニューヨークが暑かったのはこの日 のこの時間くらいで、あとは(自分にとっては)長袖のシャツが丁度いい気温だった。コンファレンスの会場やホテルはそれにジャケットを重ねても寒いくらい で、どうして米国人はこんなにギンギンに冷房を利かすのだろう、食い物や皮下脂肪の厚みが違うから体温が高いのだろうかなどと、どうでもいいことまで考え てしまった。もっとも、日本人の若い参加者の方に聞いても平気だというから、どうやら自分が寒がりなだけのようだ。

今回はとり止めもないことの報告で終始してしまったが、コンファレンスそのものについては次回に報告し、そのあともう1回だけ、ここで書ききれなかったニューヨーク・ネタを書かせてもらうことにする。

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2007年6月18日 (月)

では、ニューヨークへ行ってきます

本日の夕刻、アメリカン航空でニューヨークに発つ。プライベートで3年ぶり、仕事では5年ぶりだが、プライベートはいつも家内と一緒だし、仕事の時はここ10年くらい誰か連れがあったから、単身でのニューヨーク行きは15年ぶりになる。
今回はもちろんコンファレンスでの勉強・情報獲得と人脈アップデートが主目的で、街をあちこち歩き回るほどの時間的余裕もないタイトなスケジュールだけれど、泊るところがペン・ステーションのそばで地下鉄やバスの便も良いので、合間を縫って、せめてヴィレッジやソーホーやチャイナタウンなど、ダウンタウンに行けたらと思っている。

だが、今でこそこの14丁目以南は、西から東まで表も裏もすっかり安全でファッショナブルな街区になっているが、自分が初めてニューヨークの土を踏んだ40年前は、足を運ぶのにまだまだ勇気が要る地域で、ヴィレッジのジャズ・ライブハウスも、ソーホーの前衛的アート・ギャラリーも、チャイナタウンの本場ものの飲茶も、話に聞くだけだった。
40年前といえば、まだ1ドルが360円の時代。世界のリーディング・エアラインはもう存在していないパン・アメリカン航空(通称パンナム)で、現在マンハッタンのグランド・セントラル・ステーション上に建っているメットライフ・ビルは当時パンナム・ビルと呼ばれ、壁面にパンナムの大きなロゴマークが掲示されていた東西に長い八角形平面のその建物は、当時のニューヨークのランドマークの一つともされていたものだった。

その時期、自分は日本リーダーズダイジェスト社の音楽事業部門を担当していたが、たまたま会社全体の著しい成長に寄与するような業績をあげたということで評価され、ご褒美の意味も含めて、米国の本社を始め世界各国の系列オフィスに表敬訪問と研修のために派遣されることになった。日程は自分で好きなように決めていいし、国際線はオール・ファーストクラスという、今では考えられない有難い話だったが、何しろ初めての海外渡航なのでどう旅程を組んだら良いか見当もつかず、米国人の社長や外国通の専務に相談しながらまとめた結果、1ヵ月半で世界一周することになってしまった。それもたった一人で。
宿泊するホテルはすべて行く先々のオフィスで予約しておいてくれ、空港にはそこの誰かが迎えに来てくれることになってはいたが、それでも、果たして何事もなく帰ってくることができるかどうか、正直なところ本人としても心もとなかった。

研修プログラムの中には、フロリダのマイアミビーチで行われることになっていたリーダーズダイジェストの年次国際会議への出席も含まれていたので、最初の上陸地は米国になったが、直行便などはまだ影も形もなかった頃。真冬に羽田を発った(成田は未開港)のに、ハワイのホノルルで炎天下2時間の給油待ちをしなければならなかった。
そういう時代だったから、ホノルルからニューヨークまでも一気に飛ぶのはたいへんだということで、一息入れる意味もありまずはロサンゼルスに2泊した。

ロサンゼルスは小春日和だったが、ニューヨークに着いてみると大寒波が襲来していた。東京の冬支度はしてきたが、そんなものではとても役に立たず、外気に晒されたとたん、氷点下の寒さに震え上がった。
さらに翌日は大雪の洗礼。でも予めの約束だったので、提携先のRCAレコード本社のお偉方を表敬訪問。で、有名レストランで食事をご馳走になったり、ブロードウエーに案内してもらったりしたが、新調して行った一足きりの靴が雪道でグチャグチャになってしまい、足元が冷たくて情けなくて、折角の厚意も上の空だったことを覚えている。

この寒いニューヨークには3日間滞在して、次の1週間を今度は暑いフロリダで過ごし、その後再びニューヨークに戻ってきた。今考えると、“真冬→真夏→真冬”とコロコロ変った気候条件に、よくもまあ体調を崩さなかったものだと思う。やっぱり若かったのだろう。それと多分、緊張しっ放しだったからかも知れない。
幸い数日の間に、ニューヨークの雪はあらかた消え、靴も何とか使用継続可能な状態に戻っていた。リーダーズダイジェストの幹部も皆、フロリダからニューヨークに帰ってきたので、研修のためにプレザントビル(ニューヨーク州ウエストチェスター郡の小村)の本社(当時)とパンナム・ビルの営業本部(当時)を訪ねることになった。

プレザントビルはマンハッタンから北郊へ鉄道で約40分。パンナム・ビルとの間をワゴン車の定期便が1日2往復していたので復路はそれを利用したが、往路は列車でコトコトと。
当時のリーダーズダイジェスト本社は、いわゆる“オールド・アメリカン・スタイル”の、歩くと廊下がギシギシいうような古い由緒のある木造建築で、“ゲストハウス”というこれまた年代モノの宿泊・接待用別館が付属していた。そこに確か2泊したのだが、朝・昼はそこで執事夫婦にかしずかれての食事、夜は幹部社員の自宅に招かれての歓迎攻めで、まことに、ホスピタリティとはこういうことを言うのかと深く感じ入った。古き良き時代の米国企業にはこんな一面もあったのである。

初めての米国での最後の2日は、プレザントビルから戻ってマンハッタンで過ごしたが、研修目的はあらかた達したので、仲良くなったニューヨーカーの同僚たちが街歩きを付き合ってくれることになった。
その時はどこをどう移動していたのかさっぱりわからなかったが、厚さが3センチもある酸っぱいトマトだけのトッピングで真っ赤っ赤のピザをトライしたり、ストリート・ミュージシャンがジャズを吹いている公園で皆で指を鳴らしながらスウィングした記憶があるから、多分ヴィレッジやリトル・イタリーに連れて行ってもらったのだと思う。自分も、ホテルのそばにあった日本料理店(たしか「江戸」だった)で、彼らが一度トライしてみたかったと言っていた刺身や天ぷらや寿司や蕎麦のオーダーのし方、正しい食べ方を手ほどきして喜ばれた。今でこそ日本人顔負けの日本食通ニューヨーカーはそこいら中にいるが、その頃はけっこうレアな存在だったのだ。
また、一人で散策する時間も少しだができて、ほんのわずかな間だったけれども、やっとこの街の魅力をチョッピリ垣間見たような気がした。

その時は予想もつかなかったが、あれから延べどれだけの年月をニューヨークで過ごしたことか。それでもニューヨークは、いつ何度訪れても飽きることがなく、常に何か新しい刺激・発見があり、空気を吸うと元気が出るような気がする。サテ今回は何を発見できるのだろうか?遊びに行くわけではないが、明日からが楽しみだ。
まるで、そんな自分の期待に合わせてくれたかのように、先週末の金曜・土曜にNHKの第1とBSで、リアルタイム中継を含んだ長時間にわたるニューヨーク特集があった。いつになくテレビの前に釘付けになってしまい、いま、気分はいやが上にも盛り上がっている。

この顛末は、多分、来週・再来週に報告できると思う。

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2007年6月11日 (月)

愛犬ムッシュとの日々

このブログにもときどき登場しているわが家の愛犬ムッシュ。ヨークシャー・テリア(通称ヨーキー)のオスで6歳半になるが、体重3キロに満たない極小犬で愛くるしい顔をしているので、初めて会った人にはまずほとんど子犬と間違えられてしまう。
次男が、事情あって手放さざるを得なくなった前の飼い主の方から貰い受け、家内へのバースデー・プレゼントとして突然わが家に連れて来たのが2年前の年の3月だったが、それまで生きたペットなど飼ったことがなかった(ロボット犬のアイボはいたが)ので、当初はどう扱ったらいいものかもわからず大いに戸惑った。

籐で編んだベッドに小さな敷布団と掛布団と枕、移動用のキャリング・バッグ、使い慣れた毛布とタオルと座布団に玩具一式、それに当座用の食べ馴れたドッグフードまで持たせてもらい、名残りを惜しまれつつ送り出されてきたようだが、本人(本犬?)としては、ある晩いきなり見ず知らずの家に連れて来られて、さぞ心細かったに違いない。当初は自分の居場所も頼るべき人もわからず、可哀そうにブルブル震えてばかりいた。
でもあれから2年以上たった今ではもう、ムッシュはすっかりわが家での生活に溶け込み、かけがえのない家族の一員になった。

来たばかりの頃は、新しい環境になかなか馴染めず一晩中啼き叫び、こちらもそれに悩まされて頭が痛かったが、試行錯誤の末に彼自身の居場所を決めて(ケージを設けて)やってからはやっと安心したらしく、外出や旅行などこちらの都合で時間を変えない限りほぼ規則正しく、晩には7時に就寝して朝は8時に目を覚ます。夜中も、何か理由のあるとき以外は決して吠えないのでこちらも安眠できている。
食事はパパ・ママ(自分と家内のこと)と同じ時間に、1日三食。だが、最初はよくわからなかったもので3回とも同じ量をあげていたらコロコロに太ってきて、かかりつけのペットクリニックの先生から“あげすぎですよ”と注意された。

だから現在は、朝はほんのスナック程度。アニマル・ビスケット3~4枚に低脂肪ミルクを20~30ccくらいで、それにパパ・ママが食べるフルーツのお相伴にあずかる。柑橘類はいけないと聞いているので決してやらないが、リンゴ、バナナが大好物。レタスやキャベツなどの野菜も好きだ。犬がこんなに青果物好きとは、ついぞ知らなかった。
それからムッシュは、卵料理、魚料理、パスタ類にも目がない。朝・昼・晩に限らず、これらのおかずが食卓に載ると――というよりもママが調理している最中から――足もとにからまって、声をあげてせがむ。匂いがたまらないらしいのだが、魚をねだる時などはママに“アンタは猫か?”と突っ込まれている。

ヨーキーは陽気(なんとベタな駄洒落!)で元気で人懐っこい。雨降りやパパの外出時と重なったとき以外は必ず、午前・午後と1日2回散歩する。お蔭で、トンとスポーツにご無沙汰のパパは、何とか健康維持のための最低限の運動量を保つことができている。
よくわからなかった頃は、よかれと思ってやたらとあちこちに出かけ、長距離を長時間にわたって歩いたものだったが、いつの間にかコースもスタイルも自然に決まってきた。

午前の散歩は、朝食の後にすぐ近くの神社の境内や小学校の門前を経由し町内を一周して戻ってくるだけのプチ・コースだが、ムッシュはまだ何となく気だるいらしくて、道草を食いながらタラタラと歩いている。時間も早い時は15分くらいで、30分とかからない。
午後の散歩はタップリする。夕方近くまでよく休んだムッシュは、門を出ると俄然、元気一杯走り出し、リードを持つパパの方が逆に引っ張られてハアハア言ってしまうくらいだ。コースは、町内2ブロック分を30分あまりで一回りするショート・コース、ママがよく買い物に行くスーパーを40~50分で往復するミドル・コース、広い公園のグラウンドまで足を伸ばしそこで仲良しのお友達とひと遊びして合計1時間以上かけて帰ってくるロング・コースと、基本的に3つのパターンがあるが、本犬に任せて観察していると、どうやら自分で考えてローテーションしているような気がする。

犬の聴力は人間の何十倍とも言われるが、東京・目黒育ちのムッシュは、散歩途中の車や工事の騒音をまったく気にしない。というよりもむしろ賑やかな方が性に合っていて、静かな山荘の周りはつまらないようだ。人込みが大好きで、商店街やデパート周辺などでは、行き交う沢山の人々の優しい眼差しを浴び、愛想を振りまきながら嬉々として歩いている。
でも誰にでも尻尾を振ってついて行くわけではなく、真のボスの命令・許可がないと、やたらな行動はとらない。たとえばパパが気軽に“ムッシュ、お散歩に行こうか?”と誘っても、ママが“ムーちゃん、いいわよ、行ってらっしゃい”と言うまで動かないのだ。

親馬鹿(犬に対してもそういうのかな?)かも知れないが、人間の言葉がよくわかり、日常の大概の話は通じる。その上耳がいいときているから、ムッシュの“ム”でも言おうものなら寝ているときでも、“エ、なんですか?”とでもいうように、「ワン!」と叫ぶ。何しろ学習能力は、“誰かさんよりも高い”と言われているくらいだ。

でも話が通じるのはホントに嬉しいもので、人はどう見ているか分からないが、今日もパパは“ムッシュ、いいお天気で気持ちイイね”などと話しかけながら街を歩いている。

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2007年6月 4日 (月)

新緑 清里の森

韮崎の家電店の人に来てもらう約束をしていたので、先月末また山荘に出かけたら、前回から3週間の間に森はすっかり新緑に彩られていた。着いた日はちょっと肌寒いくらいだったが、その前日まで気温の高い日が続いていたらしく、一気に新芽が開いたようだ。
それでも、葉が鬱蒼と生い茂る梅雨どき以降とは違って、カラマツ、ミズナラ、カツラなどの葉が完全には開ききっていないので、陽光も十分に地面に届くし、木の間から遠くまで見晴るかせる。木々の若葉も、まだ薄く瑞々しく透き通るような感じで日の光をよく通しているので、下から見上げると明るい浅緑色が目に清々しい。
日中は暑くもなし寒くもなしで、玄関から一歩外に出ると甘いような爽やかなような何ともいえない芳香がするのも、新緑に包まれるこの季節ならではのものだ。その大気の中に家内としばらく佇んでいるうちに、毎年のことながら、“今が一年中でいちばん良い季節だね”という言葉が、どちらからともなく口をついて出た。

残念だったのは、何年か前に地元の植木市で購入し、厳しい気候条件の中でも順調に育っていたフジザクラ(マメザクラともいう)の花が、すでに咲き終わって小さな桜ん坊になってしまっていたことと、タラの芽がほとんど出ていなかったこと。タラは古い木が生命力を失ってしまったようで、また新しい木が生えてくるのを待つしかない。タラの木というのは荒地になったところに出てくるのだが、今年は庭の大木を何本も切り倒しその部分の地面が丸裸になるような大土木工事をしたので来年が楽しみだ。
そうそう、タラで思い出したが、やはり天麩羅にすると美味しい若芽を毎年同じ場所から覗かせていた山ウドも、どうしたわけか今年は影も形も見えなかった。

でも、前回家内が庭先のポットやプランターに植えつけておいたペチュニアやノースポールなどの色とりどりの花苗はしっかりと成長していたし、ベランダの紅と白のローズゼラニュウムも見事に咲き始めていた。また家の前の道路沿いに這わせているツルニチニチソウは前回剪定して周囲の雑草取りをしたのが良かったか、青紫色の花をたくさん着けていた。レンゲツツジも蕾が黄色く膨らみ始めていたので、もう直ぐ開花するだろう。
花ではないがサンショの葉(食材としての通称は“木の芽”)は、ここでは今が味わい時。横浜の自宅にも分植してある方は1ヵ月半前に終わっていたので二度目のお楽しみだ。
ささやかなサプライズも一つ。15年くらい前から置いてあったシイタケのホダ木は、この2~3年まったく何も出てこないのでもう駄目かと思っていたら、今年は突然、立派なものが1個出ていたのだ。幼菌も2~3個頭を覗かせていた。

放っておくと自然の樹木や山野草は、何年かの周期で勢力交替するらしいが、今年はどうやらギボシの年らしい。自分のところはもともと少なくはない方だったが、今年は大葉・小葉のギボシがやたらとたくさん生え広がり、ご近所もどこを見てもギボシが目立つ。夏になったら薄紫色の涼しげな花があたり一帯にひろがって、さぞ壮観なことだろう。

今回は用事を済ませたらすぐ帰るつもりで2泊しか予定していなかったが、それでも1度くらいは藤乃家の蕎麦を食べに家内を誘うつもりでいたのに、自分が体調を崩してそれが叶わず、あげく、お粥をつくってもらったりして、かえって手間をかけてしまった。
唯一の取り柄である力仕事も碌にできず、かと言って机仕事に精が出たわけでもなく、できたのはムッシュとの散歩くらいという始末で、情けなくかつ申し訳ない思い。次回――といってもニューヨークから帰ってきてからだから1ヵ月後になるが――はそんなことのないように気をつけて、美味しいものを食べに行き、力仕事も精一杯したい。

この3日間は、終始好天に恵まれたまま終わるかと思っていたらそうは問屋が卸さず、帰る日の午後、韮崎を過ぎた頃から猛烈な局地集中豪雨に見舞われた。ワイパーを最速にしても足りないほどの近来稀な大雨で、気温も見る見る下がり、空も真っ暗になった。
でも不思議なことに、東に向かう途中ある地点だけは全く雨が降っておらず、また降った痕跡もなかったり、大降りの後に青空が見えたかと思うと再び激しく降り出したり、夕刻に横浜の家につくまで訳がわからなかった。

余談だが、翌日も同じようなお天気に雷まで加わって、田園都市線のあざみ野、たまプラーザ近辺は午後・夕方からテンヤワンヤ。あざみ野駅の構内や駅近くのコミュニティ・センターは、降雨量が傍の調整池の許容量を超えてしまったため逆流で水浸しとなり、たまプラーザの東急百貨店では地下の食料品売り場が、天井のアチコチからの水漏れで大騒ぎだったそうだ。地上の急激な増水が排水溝だけでは捌ききれなくて、どこかの隙間から1階と地階の境目に流れ込んだらしい。

家内は丁度そのとき買い物で現場に居たため、この稀に見る珍事を目撃した。売り場の女性店員ではなく年配の事務・管理系らしき男性社員が総出でシートやボウルを持って、大慌てで右往左往していたようで、水漏れもさることながら、“デパートにあんなに男の人がいたとは知らなかったワ”と家内が驚いていた。

そんなこんなしているうちに、季節はいつの間にか夏に近づいて行く。もしかしたらもう梅雨に入ったのかな?今年は猛暑になるのだろうか、それとも冷夏か?

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