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2007年5月

2007年5月28日 (月)

DM Days New York ’07

久しぶりにニューヨークに行くことにした。と言っても、まだ3週間先の話だが...。遊びではなくて仕事――というか、勉強というか、米国ダイレクトマーケティング業界のコンベンションへの参加――である。
そのコンベンションとは、正式には「DMA Direct Marketing Days New York Conference &EXPO(DMDNYと略)’07」といい、ニューヨークを基盤とする地域的なイベントながら、この種のものとしては、同じDMAの主催で毎年10月に行われる「DMA Annual Conference & EXPO」(DMA年次大会)にも匹敵する規模と質を持っている。
ダイレクトマーケティング関連の地域イベントとしては、同じような呼び方をするものが他にシカゴ、フロリダ、ワシントンなどにもあるが、何といってもDMDNYが最大で、内容も充実している。

このイベントは昨日今日始まったわけでなく、DMはDMでも、もともとは“Direct Marketing Days...”ではなくて“Direct Mail Days...”と名づけられていたことからも知れるように、かなり歴史は古い(自分もはっきりしたことは知らない)。
現在はDMAの冠がついているが、そうなったのは確か2003年頃からだったと思う。それまでは地域の業界団体が主催していたのだが、何かよくは知らぬけれどもゴタゴタがあって、DMAが買収してマネジメントするようになったと聞いている。

かつては、その旧称からも推測がつくように、スポンサーも、出展企業も、参加者も、カタログ通販会社・リスト(データベース)業者・印刷会社・封筒メーカー・発送会社など、ダイレクトメール関連の企業が多かったし、プレゼンテーションやワークショップのプログラムも、どうしてもクラシックなダイレクトマーケティングが中心だったが、DMAが主催するようになってから、コンファレンス全体の性格も、個別のプログラムも、ガラリと変貌を遂げた。
会場も、それまではずっと、53-54丁目・6番街の「ニューヨーク・ヒルトン&タワーズ」のコンベンション・ホールだったのが、ハドソン河に面したリンカーントンネル沿いの「ジャコブ・K・ジャヴィッツ・コンベンションセンター」へと変った。仲間うちで小ぢんまりと集まっていた会場を、大人数を収容できる本格的会場に変更したたわけである。

そんなDMDNYに、少なくとも一昨年まではあまり食指が動かなかったのだが、本年参加してみようかという気になったのには、大きく2つの理由がある。一つはもちろん、DMDNY’07自体に参加する価値を認めたからであり、もう一つはニューヨークという街に対する個人的な思い入れからだ。

DMAのウエブサイトを見た限りでの話だが、DMDNYのプログラムは昨年あたりからグッと充実してきた。インターネットを軸として、データベースマーケティング、CRM、ロイヤルティプログラム、ブランディング、マルチチャネル、クリエーティブ、フルフィルメントなど、基本的な関心分野がほぼ網羅され、その上に先端性が加わってきた。
単に実用的な情報を提供しているだけでなく、その年ごとに時代環境を読んだメイン・テーマが設定され、主催者やパネリストに参加者も一体となって、考え、討論し、意見を発信しようとするようになったのだ。ある意味では、毎年10月の年次大会よりも中身が濃く、ポイントが集約されていると言えるかも知れない。

昨年のDMDNY’06のテーマは、SEMまたはSEO、すなわち検索エンジン・マーケティングというかたちで注目されている「サーチ・テクノロジー」だった。これこそが、ダイレクトマーケティング(というよりもマーケティング全般)を根本的に変えてしまうものであり、“サーチ技術の出現”こそが真のパラダイム・シフトだとしたのである。

今年のテーマは、「ソーシャル・メディア」ということだ。基調講演の一環として、“次世代型インタラクティブ”と銘打ったこのテーマについての業界リーダー達によるパネル・ディスカッションも予定されている。
自分自身は、ただでさえ、目まぐるしく進化し革新し続けるデジタル・テクノロジーになかなか付いて行けなくてフーフー言っているので、果たしてこの技術的ディーテールまでチャンと理解できるかどうか心もとないが、必死になって喰らいついて、なにがしかの最先端知識・情報を頭に詰め込んでこようと思っている。

ところで、このブログでもときどきボヤいているように、ニューヨークにはもう3年半もご無沙汰だ。仕事がらみでは5年以上になる。その間、西海岸に2回、ハワイに2回と、米国ということでは足を踏み入れていないわけではないのだけれども。
2003年までは十数年間ずっと、プレ・クリスマスを家内と一緒にニューヨークで過すのを慣わしにしていたが、2003年を最後にそれが途絶えている。9.11以来米国では、たとえサンフランシスコやホノルルであっても、セキュリティ・チェックが厳しくなり、家内はそれに嫌気がさして、しばらく行く気が起こらないでいるのだ。

自分としては、先端情報を吸収し、現地の知人・友人とのネットワークを絶やさないためにも、ビジネスマンとしての自分を育んでくれた街ニューヨークには、健康が許す限りまだまだ何度でも行きたいと思っている。
家内には、自分の仕事中は買い物でもしているなりして(事実これまで何度もそうしてきた)、また一緒に出かけないかと昨年・一昨年も打診し、今回もそれとなく誘っていたのだが、ムッシュをまたしばらくの間ホテルに預けるのも可哀そうということで、結局自分独りで行くことにした。家内は、今度ボストンへ行くときにでも立ち寄ろうかと言っている。

旅の手配はもうすべて済ませたし、DMAへの参加登録も終えたが、今回は観光ではない一人旅のため旅費が割高になり、それにコンファレンスへの参加料もかかるので、エアラインは外国の航空会社でホテルも中級。
スケジュールもほとんど余裕なしの4泊6日だが、なあに、勝手知ったるマンハッタン。合い間を縫って少しでも歩き回り、彼の地の活き活きとした空気を吸って、元気で帰ってくるゾ。

帰国後またここで、あれこれ報告するつもりでいる。

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2007年5月22日 (火)

母の日は誰の日?

先だっての日曜日、午前中早々とチャイムが鳴ったので出てみると、娘から家内へ宛てた宅配便だった。箱を開けると、熊の赤ちゃんの縫いぐるみ(Tiny Bearというらしい)が、3色のミニバラの鉢を抱っこして入っていた。その愛らしい小ささは、先日遊びに来ていた娘の娘(すなわち孫)のようでもあり、我が家のムッシュのようでもあった。
それを見て家内は、“またインターネットで見つけたのかしら、こういうのが好きなんだから”と呟いていたが、顔はほころんでいた。

そうだ、「母の日」だった。娘も、一人の子を持つ母親になって、毎年のこの日をことさらに意識するようになったのだろうか。
さすがに娘は、昨年もその当日にお花を届けてきたが、せがれ達は父親にリマインドされるまでほとんど意識していなかった。仕事がいちばん忙しい年齢だし仕方がないとは思うが、元気そうに見えるので母親のことをあまり気にかけていなかったのではないのか。
それぞれ後日、けっこう高価なプレゼントを持ってやってきたけれども、そういうモノに金を使うのではなくて、母親には、普段からこまめに気を遣えというのだ。

今年は、長男が前の晩遅くに出張帰りだと電話してきて、翌日に来るようなことを言っていたが、何か催促がましくなると思い、母の日のことは敢えて言わなかった。次男はといえば、最近しばらく連絡がとれていなかったので、そろそろ顔見せに来るころかとは思っていても、その日を意識しているかどうかはまったく見当がつかなかった。
連中は、言えば思い出すのだが、黙っていれば多分忘れているはず。男はしょうがないものだと、自分も身に覚えのある父親は、母親とせがれ達の間でひとりやきもき。

それでも家内は、久しぶりに長男が来るというので、好物の冷シャブ用の牛肉を山ほど買い込み、昼のうちから準備を始めて夕方にはすっかり出来上がらせ、盛り付けた大皿を冷蔵庫にストック。ひょっとして次男も来ても大丈夫なようにと、ボリュームも十分に用意したようだ。ムッシュにも、“今日はお兄ちゃんが来るからねー”などと話しかけている。
そう聞いて大喜びのムッシュ(言葉がよくわかるのだ)は、お兄ちゃんが直ぐにも来るのかと思って玄関へすっ飛んで行き、ドアの内側で一生懸命耳をそばだてていたが、“今じゃないよ、後でだよ”と言うと、つまらなそうにトボトボと戻ってきた。ホントに可愛いヤツ。そんなにしょっちゅう来るわけではないのに、長男も次男も娘も孫も、みんな自分の心を許せる家族だと、直感的にわかっているらしい。

夕方、ムッシュを散歩させ帰ってきて玄関を入ると間もなく、外でブロロロロ.....という聞き覚えのある車の排気音が。まさか...と思ってドアを開けると、やっぱり次男だった。照れているときの癖で、わざと無表情をつくろって鼻の穴を膨らませ、大きなカーネーションのバスケットを提げて“ハイ、おふくろさんにプレゼント”と入ってきた。
なかなか連絡がつかないことに業を煮やし、今度来たら小言の2つか3つも言わなければといっていた家内も、これには機先を制された格好で、 “アラアラありがとう”と笑顔で言うほかなかった。

前後して長男から、沈んだ声で“どうも疲れがとれないし、仕事もしなければならないので、またにさせてもらおうかな...”と電話があった。が、“それはいいけれど、今夜はせっかく冷シャブにしたんだがなー”というと、とたんに声のトーンが変って、“行きます、行きます”だと。単純なんだからホントに。でも、これも父親ゆずりかも...。
で、すっかり食卓の用意が調ったころに長男が到着。忘れていたかと思ったら、これまたチャンとカーネーションの花束を抱えていた。家内は、“オヤオヤ今日はどうしたことでしょう、お花だらけネ”と苦笑していたが、内心は嬉しそうでもあった。

それからは、せがれ二人で(自分も参加したが)アッという間に山盛りの冷シャブをぺろり。ほかにも二人の好きなご馳走ばかりだったので、イヤハヤよく食ったこと。
自分もこのくらいの年齢の時はそうだったかと傍らの家内に尋ねると、“あなたはそれ以上でした”という証言が返ってきた。そうでしたか。それじゃあひとのことは言えません。

実は、ちょくちょく顔を出すと約束したはずなのに偶にしか訪れて来ず気ままに独り暮らしを楽しんでいる二人に、“両親はもう立派な高齢者だということを忘れるな”“そろそろ自分たちの先のことも考えろ”と、お説教をするつもりでいたのだが、久しぶりに顔を見せられ、殊勝げに母の日プレゼントなどをされて、家内も自分も、ツイ言いたいことの十分の一も話せなかった。連中の作戦勝ちか?

二人とも、美味しいものをお腹一杯いただいた上に、沢山の食料品・日用品のお土産を持たされ、喜んで帰っていったが、朝からずっと休みなく立ち働いていた家内は、それを見届けると堪らずダウン。今日は母の日だったはずだが、いちばん喜んだのは誰だろう?

家内が、“お母さま、今日ぐらいは何もしないで休んでいてください、ぜんぶ私たちがしますから”などと言ってもらえるのは、いつになるのだろうか?

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2007年5月14日 (月)

ゴールデンウイークだからというわけでもないが...

今年になって2回目、数日間山荘に行ってきた。会社勤めの身でもなし、何も好き好んで道路が混雑するこの時期に出かけなくてもとは思ったのだが、後半はお天気の良い日が続きそうだということだったので、前半が終わったところで横浜の家を発った。

あいにく昼過ぎから降り出して、チョッピリ憂鬱だったが、標高の高い清里も前回行った4月中旬とくらべると随分気温も上ったようで、その分やや気楽だった。何しろ前回は、着いたら雪が降っていたのだから。
途中、中央道の談合坂SAでオヤツ休憩したり、韮崎の電器店に立ち寄ったりしたので、到着時間が少し遅くなり、ムッシュもお腹を空かして啼き出したが、何とか真っ暗にならないうちに到着。思っていたよりも寒く気温は7度を下回り、夜が深まるに連れてますます冷えて、やはり、床暖房を点けた上に暖炉を焚かずにはいられなかった。

ところが翌日になると、天気予報通り早朝から晴天で気温もうなぎ登り。全員(と言っても二人と一匹だが)早くから目が覚めてしまったが、疲れが抜けきっていないのであまり動き回らず、近所の散歩と前庭での軽作業程度で過した。
連休の前半に来ていた人たちは引き上げ、後半組がまだ来ていないところだったので、森の中は人出もほとんどなく、街っ子のムッシュには散歩もつまらなそうだった。早起きしたせいか、一日がえらく長く感じられた。

三日目は森の外に出てみた。さすがに連休後半の初日とあって、どこへ行っても人が多い。昼食に蕎麦でもと藤乃家へ行ってみたら、駐車場が満杯で、中に入りきれない人々が何組も外で待っていた。で、こりゃあダメだ、家へ帰って何かで簡単に済まそうとUターン。帰りがてら、いつも寄る「いずみきのこ園」と「まきば公園」のテント売店で、生しめじや地元の野菜類を仕入れた。
この日は、「清里の森」から直結の「八ヶ岳公園道路」を通って大泉に出たのだが、雲ひとつない青空の下、残雪を頂いた富士、八ヶ岳、南アルプス、奥秩父の峰々が、クッキリと見えた。心なしか、前回来たときよりも雪が厚く新しくなっていたような気がした。
午後からは本格的な作業開始。昨秋苦労して全面塗装したベランダの床部分の半分近くが、そのときの塗りが薄かったせいか、ひと冬風雪に晒されてまだらに剥げ落ちたので塗り直しをした。思ったよりも時間がかかってしまったが、きれいに仕上がった。

その次の日が今回の大仕事。春先に県(山梨)の林務事務所に、東側の横庭のほぼ中央部を走っていた伏流水の処置(土管を通して埋め戻す)工事をしてもらったが、その際伐採し1メートルほどの長さに切断してその場に積み上げてあったカラマツ、アカマツ、ブナ、ナラなどの丸太を、薪に加工するため家の壁に沿った場所に移し変える作業だ。
最初は、その場で半分の長さにしてから運ぼうかと思っていたが、驚くほど堅くて素人のチェーンソーでは文字通り歯が立たず、直径20センチほどのものでも、一本切断するのに20~30分はかかり、そこにあった4~50本全部をそうしようとすると気が遠くなりそうなので、切るのは後で少しずつとあきらめ、そのまま運ぶことにした。

といっても、それも大変。一本一本がとても重く、口惜しいが2本と抱えて動けない。で、管理センターから“猫車”(手押し一輪車)を借りてきて、それに載せては一度に2~3本ずつ運ぶことにした。しかし、チャンとした運搬用の通路をつくってあるわけではなく、凹凸や障害物もあり、また短いけれども急な斜面もあったりで、バランスを失って途中でひっくり返してしまうことも再々だった。
でも、“これをやらなかったら男が廃る!”と、歯を食いしばって自分を鼓舞しながら、やっとの思いで全部運び終えたが、そのときはもう、滝のような汗で息も絶え絶え。そのままバスルームへ直行しシャワーを浴びて、やっと人心地がついた。

さて奮闘の翌日は、折角いい陽気の清里なのに結局どこにも行かなかったではつまらないので、せめて人様並みにランチでもするかと、また森の外へでかけた。今度はお蕎麦屋さんではなくて、「萌木の村」内のプチホテル「ハットウォルデン」のレストランだ。村は観光客でごったがえしていたが、飲食する人のほとんどは大型パブレストランの「ロック」の方に流れるらしくホテル・レストランの方は予想外に空いていて、すぐに座れた。
このホテルには山荘を建てる前から、数え切れないほど、夫婦二人でまた家族や友人たちと、食事・宿泊をしているが、レストランのメニューはいつ来ても口に合う。ここでもときどき紹介している「ぼのボーノ」と同様にオイルとクリームを控えめにした味付けで、「ぼのボーノ」の南イタリア風に対して、プロバンス風とでもいったところだろうか。

帰る日になって、ふと気がついたが、わずか数日の間にカラマツの芽が一気に膨らみ、森はすっかり浅緑で何か清々しい気分。今回はこれと言って特別なことはしなかったけれども、気になっていた作業は済ませたし、仕事を忘れてリラックスでき、まずまずだった。

でも、往復の運転と家の中での食事の用意は相変わらず家内。彼女も楽しかったと言ってはいたが、さぞ疲れたことだろう。いつも申し訳ない。そして感謝。
ムッシュもいつものペースに戻って、元気に走り回っている。

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2007年5月 7日 (月)

iPodとマイ・ナツメロ

今年初めに古希祝いにと長男がプレゼントしてくれたiPod(極小モデルのnano)を楽しんでいる。外出する時は、文庫本と共に必携のアイテムだ。以前はカセットテープのウォークマンを携行していたが、重くて嵩張るし、テープの入れ替えや曲の頭出しの手間が煩わしくて、いつの間にか使わなくなってしまった。そのあとに出たMDウォークマンは、そのうちそのうちと思っていてとうとう手を出さず終い。携帯用CDプレーヤーも、買うには買ったがサイズが大き過ぎて、やはり持ち歩く気がしなかった。

そこへゆくと、このiPodは優れものだ。小さくて薄くて軽くて、胸ポケットに入れていてもまったく気にならない。おまけに、イヤフォンで聞いても十分に音が良い。電車の中などで目が疲れている時には、本を読まずに目を瞑ってiPodを聴いていると、芯から癒やされてくる気がするし、歩きながら聴くのも弾みがついていい。

iPodのことは発表されたときから名前だけは知っていたが、正直言って、音楽を楽しめるらしいということ以外にはほとんど無知で、アップル社の製品だからウィンドウズ・ユーザーには使えないのではないかなどと勝手に思い込んでいた。そのうち、長男が使って“あれはいい”と言っているのを聞いて、自分も使ってみたくなったが、録音や操作が難しいのではないかと思って、もうひとつ踏み切れなかった。が、そんなときにプレゼントの話があって、この機会にと思った。

現品を手にして、実感としてこれはいいと思った。他の音源から曲を取り込む手間がかかるのは、これまでの携帯式音楽プレーヤーと同じだが、iPodはプレーヤー本体の中にメモリーがあって、テープとかCDとかMDとかいう他の記録メディアを必要としない。音源の取り込み方も再生のし方も、教わってみると思いのほか簡単だった。
使用説明書を読むと、写真を取り込んでスライドショーを楽しんだり、メモやアドレス帳やカレンダーとして使ったり、ゲームをして遊んだり、いろいろなことができるらしいが、自分は専ら音楽を取り込んで聴くだけ。今のところ、それで十分だ。

音源は、アップル社のiTunes Storeからオンラインでも買えるということだが、まずは手持ちのCDを、アルバム単位で取り込んでいる。アルバム数で20枚くらい、曲数で350曲くらいになったが、まだ容量が半分近くも残っているので、あと2~300曲はいけそうで楽しみだ。
好きなアーティスト・曲でも、カセットテープや30センチLPのかたちで所有しているものは簡単に取り込めないわけだが、サテこれをどうするか。オンラインで買った方が楽かもしれないが、CDとしても持ちたいような気もするし...。

取り込んだCDは、エルビス・プレスリー、ナット・キング・コール、サラ・ヴォーン、ブレンダ・リー、エンゲルベルト・フンパーディンク、フリオ・イグレシアス、トリオ・ロスパンチョス、グラシェラ・スサーナ等のアーティスト・アルバムや、50・60・70年代のアメリカンポップス、カントリー&ウエスタン、同時代のハワイアン、ラテン、シャンソン、アルゼンチンタンゴなどのベスト・コレクションものがほとんど。例外的に、城之内ミサのアジアン・サウンドや、さだまさし、中島みゆきなども入れている。
何れこれに、今はテープやレコードでしか持っていないレイ・チャールズ、エラ・フィッツジェラルド、プラターズ、それからポール・モーリアなども加えるつもりだ。

自分は、かなりの音楽好きと自認してはいるが、特に何かのマニアというわけではなく、クラシックから演歌までクロスオーバーして、メロディーが美しくリズムが心地よい曲は何でも好きだ。
そういう曲の中には、特に意識的して覚え込んだものではなくて、時間と共にいつの間にか身体に沁み込んでしまった、いつ聴いてもリラックスできる曲があるが、そんな曲が聞こえてくると頭ではなくてハートが反応し、その曲に共有されている懐かしい日々の思い出が、過ぎた時間に濾過され美化されて蘇ってくる。

そういう効果をもたらす音楽をナツメロというのではないかと思うのだが、とすれば、このiPodに入っている曲のほとんどは、自分にとってのナツメロだ。
それも、考えてみると当然かもしれない。取り込んだCDはおおかた、ターミナル駅の構内などに出店している屋台のCDショップで衝動買いしたものばかり。道すがら、そこから流れる懐かしいサウンドに惹かれフト立ち止まり、欲しくても貧しくてなかなか買えなかったあの頃を思い出して、収録曲目を見ているうちにツイ感傷的になってしまったのだ。
あの頃の唄は、レコードは買えなくてもラジオや喫茶店や映画館で何度も何度も繰り返し聴いていたから、今でも自然に、ほとんどの曲の歌詞がスラスラと出てくる。

だからカラオケでも、若い連中に迎合して新曲を覚えたいとはチットも思わないが、旧いポピュラー・スタンダード・ナンバーを楽々と唄えるようになりたいとは思う。

で、今日も外を歩きながら、イヤフォンから聞こえるオリジナルに合わせて、周りには聞こえないように気兼ねしつつ、小声でナット・キング・コールを口ずさんでいる。

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