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2007年1月

2007年1月29日 (月)

「好きネー...」と言われても

実は、昨年の7月28日に書いた東横線J丘でのTさんらとの集いのほかに、もう一つ、毎月一回顔を合わせようということにしているグループがある。毎年のクラス会“早春会”の仲間のうち首都圏に住んでいる連中の集りで、大した人数でもないのに、仰々しくも“早春会関東支部”と称している。

一応、“広く時局を語り合う会”ということになっているが、なあに、早い話が、クラス会の2次会から始まったカラオケ好きの集いで、不定期だった頃から数えると、もう10年以上になる。場所はここ数年、JR大森駅山王口至近の某クラブだ。若くはない方々の集まりなので、その日は特別に宵の口に店を開けてもらい、他のお客さんで賑わってくる頃には退散することにしている。

特にみんなの興味が一致しているとか、何か特別な楽しみでもあるとかいうわけでもなく、ただめいめい勝手に好き放題にしゃべりかつ唄っているだけなのだが、オレ、オマエの半世紀前に帰って、誰に何の気兼ねも気張りもなく、気ままに時を過ごしているのがいい。

この歳になったら、普通、クラス仲間とは年1回も顔を合わせれば上等の部類らしいし、カラオケも毎月2回ずつというのは、世間的には少ない部類でもないらしい(あたしゃあ決して多すぎるとも思わないけれど)。だから自分としては、けっこう気を遣いつつ出かけるようにしている積りなのだが、ときどき、「好きネー...」と呆れられている。

でも、この仲間は全員メール(ケータイではなくパソコンの)で連絡がつくところがミソで、何かあったときには、そのネットワークが役に立つ。過日のN君とT君の不幸の時も、これがあるお蔭で、時間のないところ、いろいろと迅速に事を運ぶことができた。
ただ、我々の世代になると、クラス全員がメールで連絡というわけには、とても行かないようで、調べたわけではないけれど、まだ他にパソコン・ユーザーがいたとしても、多分数人。40人ほどいるクラス全体でも、半分に満たないだろう。自分たちは、それも国内企業だった連中は、それでも何とか済んだ最後の世代かも知れない。

先週は久しぶりに、この集まりに顔を出した。仕事や個人的都合で、昨年の秋以来になる。今年初めてだったせいか、思ったより多くの顔がそろった。この店の永年の常連で幹事役のN、自分よりもっとカラオケ好きのS、もと合唱部のW、あまり唄わないが聞き上手のT、もう一人の幹事役で仕切り上手のMa、それに自分の6人だ。
もとクラス委員のYo、弁護士の長老になってしまったK、いまだに山登りに忙しいYa、昨年千葉から故郷の和歌山に移住したMiの4人は、それぞれ先約や都合があって出てこられなかったが、それで一向にかまわないのだ。約束し合っているわけでも何でもなく、気が向いたらフラリと出てくればいいだけのことだから。

いつもなら、声がかかって渋々(のフリをして)、だいたい自分が最初にマイクを握るのだが、この日ばかりは珍しく、建前上の会の趣旨に沿ったかたちで、延々と世相を語り合ってしまった。
「不二家」の期限切れ製品出荷と期限切れ原料使用、「関西テレビ」(というよりも我々にとっては「フジテレビ」と思えるが)の番組「あるある大事典」でのデータ捏造など、社会的影響の大きい事件がどうしても話題の中心になったが、母校にハンカチ王子が入学してきたので一度どれほどの力があるか見に行ってやろうか、楽天に入った田中の方が伸びるのではないか、などという他愛もないスポーツ・ネタも。

みんな子供が一人前になり夫婦二人(あるいは自分のようにプラス・ペット)だけになっているので、若い頃のように家庭や家族の話はあまりしなくなった。

けっこう盛り上がったのが、迷惑メール談義。自分もそうだが、ほとんど全員が、毎日何十通もの迷惑メールで悩まされていると知った。思わずクリックして開いてみたくなるなどと言う、純なオヤジの正直な告白も。でも、どんなソフトをインストールするといいのだろうなどと話が難しくなったら、いつの間にかウヤムヤに。

で、決まって話の落ち着く先は健康問題だ。「あるある...」の納豆の話から発展して、肥満の気にし過ぎ、過剰ダイエット信仰などに話が及び、ホントは太り気味の方がいいのだなどと、ウエスト・サイズ自慢になってしまった。
そう言っても、テーブル上の飲み物はみんなウーロン茶。何だかんだ言って、やっぱり気にしているじゃあないか。

不二家や関西テレビの事件から、“だいたい、顧客のことを忘れている企業が多すぎる”などと自分が能書きをタレ始めたら、誰もまじめに聞いていない。そうだナ、空気を読めなかったナと、すぐに反省。折り良く(?)“一曲行けー”と声がかかったので、ためらいつつも(?)立ち上がった。

そして私は唄った。「好きネー」と言われて家を出てきたが。

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2007年1月22日 (月)

Being Direct (ダイレクトマーケティング一直線)

暮れから正月にかけて、「改訂版・ワンダーマンの売る広告」を読んだ。“ダイレクトマーケティングの父”と呼ばれている米国の偉大なマーケターの一人レスター・ワンダーマンの、自伝でもあり成功事例談でもある本なので、原著が出た2年前から注目しており、アマゾンかDMAのオンライン書店に注文しよう思っていたところだったが、思いがけず昨年の10月に日本語版が発売され、有難いことに訳者のFさんから早々に一冊頂戴した。
実はこの本は、1998年に発売された初版も持っている。そしてそのときに、“自分もこの辺で一度、自分の来た道を振り返ってみたい”という刺激を受けて、2年間24回にわたり業界誌に連載したのが「ダイレクトマーケティング・グラフィティ」だった。

この本は、いわゆるエンタテインメントでもなければ専門書というわけでもないのだが、およそビジネスマンなら思わず引き込まれてしまう、誰にでも思いあたるような、それでいてなかなか得がたい経験の、興味深いトピックスに満ちている。
ワンダーマンは紛れもなくダイレクトマーケターであり、広告マンでもあるが、この本の実質は単なるマーケティング・広告の専門書ではない。むしろ、“ビジネス・ドキュメンタリー”とでも呼んだ方がふさわしく、対象読者はこの業界の人々に限られる必要はない。大企業・中小企業にかかわらず、特に営業や企画担当の人たちは、ぜひ読んだ方がいい。
現に、ITソリューション企業で企画と営業に携わっている長男が、こちらが教える前に向こうから、“いま読んでいるところだけれど、すごく面白いね”と言ってきた。フィリップ・コトラーが“まるで冒険小説を読んでいるようだ”という書評を寄せているのも、あながちオーバーではない。

頼まれたわけでもないのに、この本についてこんなに語っているのには訳がある。書かれていることが、自分にはいちいち、他人事と思えぬほどピンとくるのだ。また、ワンダーマンが現在そして直近の未来(彼の言葉でいえば“ポスト現在”)のマーケターに対して発信しているメッセージが、自分のそれと極めて近く思えるからだ。

もちろん、自分とは親と子ほども年齢とキャリアに差があり企業家としても功成り名遂げた存在のワンダーマンに、この道一筋にやってきたとはいえ彼には及びもつかない実績しかない自分をなぞらえるのは、僭越以外の何ものでもないのだが、ここに紹介されているさまざまな業界内幕や人間模様、それに取り組む彼の心理的葛藤や野心は、おそらく他の誰よりも自分がいちばんよく理解できるのではないかとさえ思えるのである。

無理にこじつけるようだが、1937年、ワンダーマンがカレッジを終えて世に出た年、自分はこの世に生を受けた。そして1961年、彼がニューヨークの通信販売業界首脳陣の集まり「ハンドレッドミリオン・クラブ」の講演で初めて公式に“ダイレクトマーケティング”という言葉を使った年に、自分は社会人として、またダイレクトマーケターとしての第一歩を踏み出した。
この2つの節目におけるタイミングの符合は、後で知ったことであり、もちろん偶然の一致に過ぎないのだが、自分がここまでこうしてダイレクトマーケティングに関わり続けてきたことを考えると、独りよがりながら、何やら縁を感じずにはいられない。

ワンダーマンはこれまでの60年間、終始広告代理店としての立場で、自分は最初の19年はマーケター・広告主、その次の16年は広告代理店、そしてそれから今に至る10年あまりはコンサルタント・研究者の立場でダイレクトマーケティングに関わってきたが、この本を読んでみて、彼が取り組んできた業種やブランドのタイプやマーケティング・モデルと自分のそれには、時代のズレや活動地域と立場の違いはあるものの、奇妙に共通・類似する点が多いことに気がついた。ある時期には、企業と登場人物が重なってさえいる。

彼とは、ライバル企業グループの総帥ということで紹介され、東京のホテルオークラで食事と意見交換をしたことが一度あるだけで、それ以上の縁は特になかったのだが、多分、マーケティングの大変革期の大波が、同じダイレクトマーケティングに携わっていた者たちを、自然にそういう同じ方向へと導いたのだろう。
しかし、そんな過去のことよりも、何にも増して自分が共鳴するのは、彼のビジョンだ。

上述の「ダイレクトマーケティング・グラフィティ」の最終回で自分は、「次世代マーケターへの伝言」(PDFファイル)と題する3つのメッセージの中の1つとして“一般企業のマーケティングの中にダイレクトマーケティングの原理・システムを適用・普遍化すること”をあげ、伝統的なビジネスモデルだけに依存することによる投資効果の行き詰まりの危機を洞察し“市場・顧客中心”と“情報化”に基づく新たな標準ビジネスモデルを確立することの重要性を指摘して、ダイレクトマーケティングこそがその牽引力になり得ると示唆した。

この考え方は、表現は異なっていても、ワンダーマンが「売る広告」の第26章「未来への道は」で言っていることとほぼ一致している。別に申し合わせたわけでも模倣したわけでもなく、先入観を捨てて時代環境に素直に向き合った結果、彼も自分もこういうビジョンに達したのだ。ちなみに自分は、この本の初版が出版される以前の1996年に上梓した「DRM」の中で、上記の原型ともいうべき考え方を発表している。

幸い米国では、彼のビジョンは着々と現実化しつつある。が、日本では、まだまだ道は遠く、やっとその第一歩が踏み出されたばかりだ。大多数の企業における伝統的マスマーケティングへの信奉は、まだまだ根強い。
だが、その状況を客観的に論評するだけで、革新の実現を次世代に委ねているのでは、自分も、間もなく卆寿になんなんとするのになおかくしゃくとこの世界をリードし続けるワンダーマンに対して面目が立たない。自ら提唱したこの課題に、あくなき挑戦を続けねばと、ここで改めて思う。彼の本の原タイトル“Being Direct”の気持ちで...。

その手始めに、「ダイレクトマーケティング・グラフィティ」の内容を大幅に追補して一冊にまとめてみたいと思っている。自分が日本という市場におけるマーケティング活動を通じて、学び身につけてきた汎用的な知恵と経験とノーハウを、ぜひ、できるだけ多くのマーケターに共有して欲しいと願うからだ。
前回の連載ではあらかじめ回数とスペースの制限があったため、参考になるであろうことで盛り込めなかったことがまだ山ほどあるので、ネタに不足はない。

あれ?また自分で仕事を増やしてしまった。でもこれが案外、ボケ防止に役立つかも。

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2007年1月16日 (火)

思えば遠くへ来たもんだ

突然ですが、“せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草”という三十一文字をご存知だろうか?自分と同年代の方ならたいていお分かりのはずだが、ブログ世代は知らない人が多いかも。なのに知っているとしたら、貴方はお若いのに奥床しい。
そう。ウィキペディアにも出ているが、これは、正月七日を祝う伝統行事「七草粥」に入れる、いわゆる“春の七草”を読み込んだ和歌だ。

七草粥は、最近は必ずしも各家庭での恒例にはなっていないらしいが、正月のご馳走とお神酒でやや疲れ気味の胃腸を休めて、不足しているビタミン類を補給しようという合理的な食習慣。我が家でも長年(たぶん所帯を持って以来ずっと)、この日の朝食にこれをいただいている。若いときには、サッパリし過ぎの感があってもの足りない気もしたが、歳を経て夫婦二人だけになった今では、その淡白さがかえって好ましい。

今年は、本来15日のはずの「成人の日」が前倒しになったので、翌8日は近所の公園内のグラウンドで、町内会が主催する“ドンド焼き”。午前10時半からだったので、ムッシュに朝の散歩をさせたあと、前の晩に外しておいた松飾りを持って、始まったばかりの会場へ行く。あまり風も強くなく、空気も乾燥していたので、山と積まれた門松や注連縄を呑み込んだ炎は、たちまち、やぐら状に組んだ長い笹竹の先端まで燃え上がった。
好天で暖かい日差しにも恵まれ、人出も多く、なんとなくまだ正月気分のまま、振る舞われていたミカンや甘酒をいただいて、しばらくの間ボーっと、その炎を眺めていた。

そして9日には、運転免許証の書き換えに地元の警察署へ。だいぶ時間がかかるかと思っていたら、昨年暮れに高齢者講習を終了していたのでビデオ講習を受けなくともよかったのと、ウィークデーだったため人が少なかったこともあって、あっけないほど早く手続き完了。30分もかからなかった。“こいつぁ~春から縁起がいい~わい”。

そしてまだ、正月行事は続く。11日は「鏡開き」で、オヤツにお汁粉が出た。和菓子好きの自分としては舌鼓を打って喜んだのだが、もっと大きなことで喜ばなくてはないらしい。

実は前日10日に、遂に“古稀”を迎えてしまった。でも、本当にもうそんなになったのか...というのが正直な気持ちで、自分としてはあまり実感が湧かない。50代から60代に入った時も何も変わらない気がしたし、今回も自意識としてはそう思いたいのだ。

ということで、気がつかないフリをしてさり気なくやり過ごそうとしていたのだが、この際、家族全員が集まって、何やら祝ってくれるのだという。別に何もしなくていいよと、再三辞退したのだが...。

発案し、お膳立てしてくれたのは、やはり家内。仕事や子育てで忙しい倅たちや娘は、普段なら全員のスケジュールを合わせるなどというのは不可能に近いのだが、さすが母親の号令一下、日曜の昼過ぎに、全員が近所の日本料理店に集合することに。

このごろは家庭料理がいちばんと、外で食べるのも専ら軽いものが多いが、たまには本格的な懐石料理もいいもんだ。ウム、ウム、美味しい美味しいと箸を進めているうちに、すっかり満腹・満足した。
お店からは、お祝いにと鯛の尾頭付きが出たし、家族のそれぞれからは、趣味用品、実用品、仕事用品、好物食品などのプレゼントをもらって、それはそれで大いに嬉しかったが、何よりも、久々に家族が一堂に会してゆっくり食事できたのが、ことのほか楽しかった。こんな雰囲気、何年ぶりになるだろうか。

翌日(すなわち昨日)もまた、嬉しいことがあった。以前住んでいた街で家族ぐるみのお付き合いをしていて、その後も欠かさず賀状を交換していたHさんと、実に21年ぶりに、横浜でランチをご一緒した。今年差し上げた自分の年賀状がきっかけでブログを読まれ、メールと電話をくださって、早速お会いすることになったのだ。
お互い白いものが増えた顔を見合わせ、あの頃のこと、この頃のこと、話は尽きなかったが、今度はぜひ、夫婦揃ってセカンドハウスを訪ね合いましょうと約束し、ほのぼのとした気持ちで帰途についた。

夕食をしながら、勝手にしみじみして、家内に話しかけた。“ここまでの歳月は数えてみるとけっこう長いけれど、アッという間だったような気もするね。”“何事もなかったわけではないが、まあまあ悪くない日々だったね。”...と。

すると、ピシャリ。“勝手にまとめないでください!良かったか悪かったかは、貴方ひとりで決めることじゃぁないでしょう!”(ハイ、その通りです。済みません。)

「海援隊」の唄ではないが、思えば遠くに来たもんだ。何だかんだ言っても、もうここまで来てしまったのだから、これからもひとつよろしくお願いしますョ。

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2007年1月 9日 (火)

年頭に想う

ブログ2年目に入る。昨年は初めてのこともあって、つい意識過剰になったりしたこともあったが、今年は淡々と続けてゆくことにしたい。

さて、年末・年始休みをして2週間、けっこう長いかなと思っていたが、瞬く間だった。一日にいくつものことをこなすのがシンドくなって、今日は年賀状、今日は片付け(大掃除というところまではとても行かないが)、今日は松飾りと、ひとつひとつ取り組んでいたら、いつの間にか大晦日。
明けてからも、年賀状の返事出し(本年は勝手ながら年内出しを最小限にさせてもらった)、メール・チェック、ムッシュの散歩のほかにはさしたることもしないまま毎日を過ごしているうちに、もうここまで来てしまった。まあ、一年のうちにはこういう時期もあっていいだろうと、自己納得。

でも、例年通り、31日から1日にかけては近所の御嶽神社へ初詣。今年は11時半(もちろん夜の)になるかならないうちに家を出たので、トップ・グループでお参りすることができ、あまり寒風に晒されないで済んだ。そして4日は川崎大師。こちらの方は、同じ日時だったが昨年より人出が多かった気がする。世の中は景気がいいのだろうか、参道を行き交う人々の表情はみんな明るかった。
どちらの初詣も、家族・親族と愛犬の全員を代表してその幸せと無事を祈り、御札と御守をいただいて来た。毎年感ずることだが、こうして元気で出かけられるのは、ともあれ幸せなこととつくづく思う。

久しぶりで実家に顔を見せ3が日滞在していた長男と次男は、幼い時から馴染んできた母のお雑煮とおせち料理をたらふく食べては、時間があると寝てばかり。本人たちもこの一年の仕事の疲れがドッと出たのかも知れないが、だんだん体力のなくなってきた母親がこれだけのものを用意するについての苦労を、わかっているのだろうか?

2日に家族一同でやってきた娘は、配偶者の実家に母親秘伝のブリ雑煮の美味しさを吹聴したら、自分でつくって振舞う破目になったそうな。幸い評判は上々だったらしいが、我が家では所帯を持って以来ン十年、毎正月には、このブリ雑煮(通称「富山のお雑煮」)と東京風雑煮の二種類をいただくことにしている。と言っても、つくるのはもっぱら家内で、他一同は食べるだけなのだが。
ちなみに、“東京風”とは、鳥肉、筍、蒲鉾、鳴門巻、小松菜、三つ葉、柚子などが入って、鰹節と昆布でしっかりダシをとった澄まし汁。“富山風”とは、ブリ雑煮の別名通り、素焼きして細かくほぐしたブリをメインに、牛蒡と人参の笹がき、こんにゃくの薄切り、焼豆腐などが、日本酒と味醂を隠し味にしたけんちん風味の醤油味の汁に入ったもので、ダシは具になっているブリと牛蒡から出る。餅はどちらも角餅。

これが毎年だから家内はたいへんなわけだ。餅焼き当番だった娘も、もうそばにはいないことだし、来年からは無理をしてもらわないようにしよう。

5日は自分の公式な仕事初め。顧問になっている新宿のT社へ出向き、マーケティング部門の諸君と会議ののち会食。そして7日の朝には七草粥をいただいて、いよいよ正月気分返上だ。やっとエンジンがかかってきたかな?

と、平凡でそこそこ幸せな、相変わらずの暮れと正月だったような報告をしたが、実は、昨年12月半ばと今月の初めに、たて続けに二人の級友が他界して、彼らを送った後の寂寥感が、正直のところまだ胸に残っている状態でもある。

先に逝ったのは、昨年10月末のクラス会の幹事をしてくれたN君。学生時代にはアイスホッケーの選手でもあり頑健そのものだったが、一昨年のクラス会で呼吸器系の癌から奇跡的に生還したと聞き、安心していたところだった。
後を追ったのは、学生時代から社交ダンス・クラブに属し、最近までもそれをずっと続けていた、多趣味でエネルギッシュなT君。筋肉が自由にならなくなる難病にかかって昨年のクラス会には出てこられず、さらにその後、消化器系の癌とも闘っていることを知った。あろうことか、彼の逝去の翌々日に届いた自筆の年賀状によってである。彼自身も、頑張って克服する積りでいたに違いない。
どちらも、周りの者はもちろん本人も予期していなかったであろう、突然のことだった。

しかし、自分の身に置き換えて考えてみると、当然、もう少し遅くてもよいということにはなるが、考えようによっては、特に早過ぎると嘆かなくともよいような気もする。われわれの世代は、これまで十分に、世のためにも家庭のためにも尽くしてきたのだから。
そう思って、心安らかに旅立って欲しい、N君、T君よ。いつかまた、あちらで会って、アイスホッケーや社交ダンスの話に花を咲かせようではないか。合掌。

おっと、気がついてみたら、準備しておかなければならない講演や書かなければならない原稿が目白押しになっている。サア、今週からはフル稼働しなくっちゃ...。

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