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2006年12月

2006年12月25日 (月)

アロ~ハ、2006年

毎日事務所に通って仕事をしていた頃にくらべれば、多分ずっとマイペースなはずの生活なのに、12月になるとやはり、何かと用事が多くてせわしない気持ちになる。年賀状もまだ書いていないが、アッという間に、今年もあと1週間というところまで来てしまった。
年々、1年の経つのが早いと感じるようになってきているが、今年は特にそうだった。週一ペースでブログを書いているせいか、月日が週単位で過ぎてゆくような気がする。

そんなにすることが沢山あって忙しいのなら、自由な時間があるときは家でゆっくりしてれば良いものを、好んでより忙しくするように、押し迫ってからバタバタで決めて、ハワイに行ってきた。ここ15年来の慣習で、プレ・クリスマス・シーズンには夫婦でどこか外国へ出かけないと、何かやり残しているような気持ちになって落ち着かないのだ。

以前からこのブログでも言っていたように、ほんとは、3年振りにニューヨークからボストンへ行く積りだったが、あれこれ航空会社やホテルを選り好みしているうちに、行きたい時期に間に合わなくなってしまい、結局、いつでも行けるハワイということになった次第。

ただしハワイとは言っても今回は、自分たちがまだ行ったことのない、ハワイ島をメインにした。ハワイ諸島の中でもいちばん、手つかずの大自然が残っているらしいというのが理由で、何度も行っているオアフ島には、帰りにチョッとだけ寄ることに。

ハワイ島に関しては、“コナ・コーヒー”と“キラウエア火山”ぐらいしか予備知識がなく、数日滞在すれば一通りの観光はできるだろうと思っていたが、とんでもなかった。“ビッグ・アイランド”の愛称に恥じず、地図で見ただけでは分からないスケールの大きさと奥の深さがあって、今回はその魅力のほんの一部だけに触れてきた。

キラウエア山頂の大クレーターにも度肝を抜かれたが、それよりも、島の南北いっぱいに裾野をひろげるマウナ・ケア山とマウナ・ロア山のデカいこと。標高も富士山よりはるかに高く、4000メートルを超すそうだが、どこまで行っても視界一杯に広がる山裾の広さには、ただ圧倒されるばかりだった。

キラウエア噴火口の他にも、一応、ブラック・サンド・ビーチ(黒砂海岸)とか、パーカー牧場とか、レインボー・フォールズとか、お定まりの観光スポットらしきところはバスで回った(ハワイアンの名曲にもあるアカカの滝やワイピオ渓谷などには行けなかった)のだが、ガイドによれば、こんなものではなかなか本当のハワイ島の良さはわからないということだ。確かにそうかも知れない。

観光名所を漏れなく見て周りたいとは、あまり思わないが、赤・黄・オレンジ・ピンク・紫色に、いたるところに咲き乱れるハイビスカスやブーゲンビリアやその他の名も知れぬ花々と、あくまでも透明にどこまでも青い海を見ていると、どこへ行っても人で溢れているワイキキ・ビーチなどとは大違いのこの島こそが本当のハワイではないかと思えて、このままロング・ステイしていたい、また帰ってきたいという気にさせられた。

ただ、望んだわけでもないのに、パッケージ・プログラムの一環として嫌も応もなく乗船させられた“ホエール・ウォッチング”には参った。波が相当高かったにもかかわらず太平洋をかなり沖合いまで出て、何十年振りかのひどい船酔いで完全にグロッキー。それで実際に鯨が見えたのならまだしも、シーズンに入ってまだ二日目とかで、結局何も見えず、陸に上がってからも二日間ぐらいは、身体の揺れる感覚が止まらなかった。

だが、島の西側カイルア湾に面したコナ海岸のホテルは、最高の景観と雰囲気だった。ロビーもレストランもオープン・エアで、心地よい風に頬をなぶらせながら目の前に波打ち際を臨み、椰子の木の葉以外には遮るものは何もない遥か彼方の水平線上に落ちるハワイアン・サンセットを眺めているのは、まさに至福のひと時。「珊瑚礁の彼方」のスチール・ギターのメロディーが耳もとに流れるように思えて、しばし、冬の日本を忘れた。

けれども、何日か経って成田空港に戻ると、そこには紛れもない師走の寒風が吹きぬけており、ハワイぼけからたちまち現実に引き戻され、この一年の出来事や翌日からの年内の予定が走馬灯のように頭の中をめぐって、何か慌ただしい気持ちに。

思えば、このブログも早1年。自他共に認める気まま者にしてはよく続いたものだが、最初にかたちを決めてかかったため、正直いうとだいぶ構えてしまい、ブログらしからぬ書き方をする結果になったような気がする。来年からは、もっと気楽にいこう。

とりあえず、今年はこれで書き納めということにさせてもらって、年末・年始は2週間ほど休筆し、松が明けたらまた戻ってきたい。

アロ~ハ、2006年! 拙文を読んで下さっている皆さん、どうぞ良いお年を!

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2006年12月18日 (月)

伝統型広告とメディアの今後

仕事柄、マーケティング関連の最新情報を得るため、米欧の主だったナショナル・メディアと業界・専門メディアのオンライン版をチェックすることが、ほぼ毎日の日課になっている。そこで目ぼしいタイトルを見つけると、ザッと目を通し、また資料としてプリントアウトしておき、後でまとめて仕分けをしながら再チェックすることにしている。

その資料のここ数か月分を見直していたら、「Advertising Age」2006年7月10日号の刺激的なタイトルが目についた。それは、「The End of Advertising and Media as We Have Known It」(広告とメディアの終焉――それはわかっていた)というもの。今や世界の広告業界の一大勢力にのし上がったWPPグループの総帥マーチン・ソレル氏が最近英紙「タイムズ」に寄せた“デジタル革命”についての意見に対する、米国Tacoda Systems(オンライン広告における“行動分析型ターゲティング”の技術システムで知られている)の最高経営責任者デービッド・モーガン氏の、真っ向から反論だ。

ソレル氏の意見とは、インターネットの出現とメディアのデジタル化の嵐が伝統的な広告業界に与えている言い知れない恐怖を鎮静させようとの狙いによるもので、おおよそ『今日我々が経験しているデジタル革命とは、我々の業界が50年前に経験したテレビの出現期における動きとあまり変わらない。インターネットは、たかがもう一つ、新しいメディアが出現したというだけのことで、一時的には業界が紛糾するかも知れないが、すぐにその嵐はおさまって、業界の本質はこれまでのままに維持されるはずだ。インターネットが他のどのメディアかに取って代わるというようなことはなく、これまでのメディアと並ぶもう一つのメディアということに落ち着くだろう。テレビがそうだった。』というもの。

これに対してモーガン氏が展開している反論は、要約すると次のようになる。
まず彼は、『ソレル氏は、あまり気休めみたいなことを言わない方が良いし、業界の人々も、それを信じない方が良い。もちろん、広告メディアとしてのインターネットのパワーは、その到達度が今やテレビに迫る勢いだが、今日展開されているデジタル革命とは、単なる広告メディア・ミックスのとしての新メディア導入の話では済まない、想像以上に大きな問題なのだ。広告メディアとしてのウエブは、その全体像の中の一部に過ぎない。マーケターは、我々が今知っているかたちの、明らかにメディア本位の伝統的広告から離れて、市場・顧客を中心に考えるダイレクトマーケティングやプロモーションに移行しつつある。これは今始まったことでなく、もう20年以上も前から進行していたことだが、デジタル革命がそれに拍車をかけた。このことは、将来は広告が今よりずっと少なくなる――つまり伝統的なメディアの広告収入も少なくなるということを意味する。』とぶち上げている。

彼はこうも言っている。『あらゆるメディアはデジタル化しつつある。それはウエブだけに影響を与えているわけではなくて、テレビにも、ラジオにも、新聞にも、雑誌にも、屋外メディアにも与えている。もう10年もすれば、すべてのメディアが、部分的にあるいは全面的にデジタル化して、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった現在のメディア区分は、広告を受ける方の人々にとっては意味がなくなってくるだろう。だが、ほとんどの伝統的メディアの人々は、この波に対して備えができていないし、それを止める力もない。かつては、効果がストレートに現れないシステムになっている広告が、むしろ大手を振ってまかり通っていたが、そういう時代は終わりかかっている。企業のあらゆる業務プロセスがデジタル化され、かかった時間やコストに対して結果が問われるようになり、広告もメディアも、当然それを避けて通れなくなっている。広告費用の使い方も、“アカウンタビリティ”(つまり費用対効果)の面から見直されるようになりつつある。』と。

さらに彼は、『私たちは今、顧客中心の世界にいるが、ここでは、伝統的広告とメディアが今までやってきた一方通行のクリエーティブや編集は通用しなくなってきている。メディアとコミュニケーションがデジタル化すると、同時双方向のやりとりが可能になるから、“逃げ”や“ごまかし”が利かなくなるのだ。』と続け、『ソレルさん、デジタル革命は新メディア出現以上のことです。それは、今までのような広告の“終わりの始まり”です。どうやら、マーケターも消費者もそれを望んでいるようですよ。』と結んでいる。

自分は、“やがて小売は通販ばかりになり店舗は消滅する”とか、“インターネットがあらゆる広告メディアを駆逐する”とかいった、皮相的でセンセーショナルなもの言いは好きではないので、いささか極端に過ぎるこの論文のタイトルも、どうかとは思う。
しかし、確かにソレル氏の見方は甘いと思うし、“あらゆる情報はデジタル化する”、“インターネットは単なる広告メディアではない”、“マーケティングにはアカウンタビリティが求められる”というモーガン氏の指摘には、大いに共感を覚える。
そして彼同様に、事態に対してどうも十分に取り組んでいるようには見えない(わかっていないのかも知れない)伝統的な広告業界(エージェンシーも広告主も含めて)には、いささか苛立ちを禁じ得ないでいる。

(なお参考情報として、「DM News」2006年11月17日の“Digital age needs marketing basics: Wunderman”と、同じ「DM News」12月7日の“Internet, Mail top '07 ad channels: Universal McCann report”という記事も、ぜひ一読されることをお薦めしたい。)

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2006年12月11日 (月)

高齢者講習

まだあまり知られていないのではないかと思うが、「高齢者講習」なるものを受けてきた。健康維持やパソコンのではなく、ドライバーのための講習で、運転免許を更新する際の年齢が70歳以上になる人が更新手続きの前に受けることを義務づけられているものだ。

一月ほど前に県の公安委員会から案内のハガキが来たときは、免許更新のお知らせと形式がそっくりなので、今回は早いナなどと思っていたが、よく読んでみるとそうでないことがわかり、今度はこれを受ければ即更新ということになるのかとまた早合点したが、それも違った。要するに、高齢者に新たに付加された、免許更新のための前提条件なのだ。道路交通法の改正に基づき平成14年から実施されていたらしいが、よく知らなかった。

近頃は、高齢ドライバーの高速道路逆走、駐車場でのブレーキとアクセルの踏み違えなどのニュースをしばしば耳にするから、何らかの対策は必要だろうとは思っていたし、自分も、そこまでではなくとも若い時のようなわけには行かなくなるだろうから、ボチボチ気をつけなければいけないと思っていたところだったが、ハガキを受け取って、あゝとうとう、そういう年齢になってしまったかと、改めて実感した。

この講習が実際に行われるのは、公安委員会が委託した最寄りの自動車学校で、ビデオなどによる高齢者向けの安全運転の知識学習(免許更新のときに警察などで見せられるものとはまた違う)、自動車学校のコースを使っての運転実技チェック、シミュレーターを操作しての運転適性検査、そして動体視力検査など、タップリ3時間かかった。
当日会場に集まったシニアの面々は男女合わせて15人。最初に係の人(講師兼検定者)から、これは別にテストではないし、その結果が更新手続きに影響するわけでもないから、あまり緊張しないようにという説明があったが、どの顔も一様に難しい表情だった。
来年の1月までは辛うじて60歳台の崖っ淵にぶら下がっている自分が最若年(!)だったようで、この講習が2度目という方も何人か居り、80歳台の方も3人、最高齢者は何と88歳と言っていた。お腰がかなり曲がっていて、失礼ながら大丈夫なのだろうかと心配していたら、もう実際には運転せず、証明書代わりに免許を更新するのだとのことだった。

逆走や踏み違えなどは運転能力の低下以上の極端なケースだろうが、講師の話によれば、高齢になると誰でもやはり、心身機能の変化は避けられず、比較的単純な作業ならまだしも運転のように複雑な作業を同時に行う場合には、状況の認知、それに対する判断・操作の速さと正確さが、若い時にくらべるとどうしても低下するということだ。
視覚機能も加齢とともに変化して、静止視力の低下(いわゆる老眼)だけでなく動体視力はより急激に低下し、夜間・薄暮時の視力が落ちてきて、視野も狭まってくるという。

話を聞いて、講習の目的は、この知らず知らずのうちに忍び寄っている機能の衰えを、自分はまだまだ大丈夫と思っているシニアにも自覚させて意識的安全運転を心がけさせ、自分と他人の危険を未然に防ぐためなのだなと、まずは、頭でよく理解した。
そして、実際にコースに出て運転し、またシュミレーション・マシーンでさまざまな反応テストを受けてみて、これまでは自覚していなかった以前の自分との変化、染み付いていたクセなどもわかって、さらに納得した。

視力そのものは、動体視力も夜間視力もまだ30~40歳台レベルという検査結果が出たが、コース走行中に見通しのよい交差点で、徐行しただけで一時停止せずに通過したため、注意力不足を指摘された。一時停止の標識があったということだが、見落としていたのだ。
また、ハンドルの持ち位置も注意された。正しい位置は、時計の針の“10時10分と9時15分の間”と言われるが、自分の場合は左の手が無意識のうちに上に行く傾向があり、そのアンバランスが何かあったときに危険ということだった。
この、ハンドルの持ち位置と一時停止標識の件は、自分だけでなく、ほとんどの男性ドライバーが指摘されていたようだ。

アクセルとブレーキの踏み替えの機敏さ、すなわち“足さばき”は、単純反応検査(子供の飛び出しとか、対向車・横断車の出現などのそれぞれに対する反応)では平均をかなり上回る若者並みという数値がでたが、選択反応検査(上記のそれぞれが不規則に連続して出現してきた場合の反応)になると、とたんに平均値に落ちてしまい、総合的には“平均よりはやや良い程度”という結果に落ち着いた。

運転実技検定のようなテストではないとあらかじめ分かってはいても、他人の前でみっともないところを曝したくないとか、万が一、自覚していなかったとんでもない欠陥が見つかったらどうしようとか、つい、いろいろと意識してしまって、けっこう気疲れした3時間だったが、今まで家族以外の第三者的な目で自分の運転の評価を受けたことがなかったので、自分のためにはもちろん、家族のためにも良い機会だったと思っている。

自分はゴールド免許で、対象者としては最若年での受講なので、今回に限り5年更新になるが、その後は3年ごとになるそうだ。面倒なようだが、いつまでも運転を楽しむためにはそれも有難いと、前向きにとらえることにしよう。

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2006年12月 4日 (月)

山荘の冬支度

先月の29日から昨日まで、清里の山荘に行ってきた。今年はこれで最後、来年の春まで4ヵ月余りはご無沙汰することになる。
建てたばかりの頃は、まだもの珍しくて、大晦日も正月も、家族そろってわざわざ山荘で迎えたりしたものだが、この頃はスキーに出かけようという元気も湧かず、12月には早々に水抜きをしてクローズしてしまうのが恒例になっている。

ということで、晴天が続きそうな期間を見はからって出かけることにしたが、今年最後ということになると、持って行って置いてくるもの、また、忘れずに持ち帰ってくるものなど、出かける前に何かと準備やチェックに時間がかかり、当日は、出発が予定より大幅に遅れて午後3時頃になってしまった。
それでも、八王子で中央道に入ってからのペースは順調で、談合坂サービスエリアでしばらく休憩はしたものの、韮崎で下りるまで1時間と少ししかかからなかった。

久しぶりの晴天で、横浜を出る時は日差しも明るく気温17度の小春日和だったが、山荘に到着した頃にはすっかり日も落ちて何と4度まで下がり、車外に出る時には慌ててコートを羽織らなければならないほどの寒さになっていた。
ムッシュも、いつもならば到着してすぐは、喜んで家の外で遊んでいるのだが、この日は早々に屋内に入って丸くなってしまった。犬は寒さに強いと言われるが、それは大型犬・中型犬のことで、猫並みの極小犬にとっては、どうやら寒さは苦手らしい。

前回来たのが1ヵ月前で、その後夜間の冷え込みが厳しくなってからもだいぶ経っている。そのため室内も寝具もすっかり冷え切っていて、床暖房をした上に暖炉を焚いても、やっと人心地がつくまでに2時間ほどかかった。寒冷地は、山荘暮らしも楽じゃあないのだ。

翌朝も良い天気。晩秋から初冬は大体こうなのだが。モミやイチイなど以外の樹木は完全に葉が落ちて、カーテンを開けると東の陽光が室内一杯に差し込み、遠くには秩父の山々が見通せた。外は2~3度の冷気のはずだが、この季節の森は、凛として気持ちがいい。

今回は、もちろん最後の水抜きが大仕事(神経を使うという意味で)だが、その他にも、前回やり残していたベランダ塗装と樹木の大枝切り落としという力仕事があった。この家を建てた際、それまで生えていた樹木をかなり伐採したのでその回復のためと、自分が欲しい木もあったことから、100本以上のさまざまな苗木を植えたら、17年経った今ではその背が伸び枝が広がって地面の日照に影響を及ぼし、キノコや草花の生育に差し支えるようになって、間伐や枝落としをせざるを得なくなってしまったのだ。
はしごの高さと道具(ノコギリ)に限度があるので、プロがやるようなわけには行かなかったが、まあまあ、多少は片付いたのではないかと自己満足。

今回は中二日の余裕をとったので、久しぶりに「萌木の村」の「ロック」にも顔を出してみたが、ウィークデーのせいか来店客はまばら。でも、天井の高い店内にはもう、美しいイルミネーションをほどこした大きなクリスマスツリーが立てられていた。隣のプチホテル「ハットウォルデン」は、来年になったら全面的に立て直しをするという。

家内にばかり料理をさせていては申し訳ない(といっても自分はできない)ので、そばを食しにいつもの「藤乃屋」へ誘う。彼女は暖かい天麩羅そばで自分は冷たい天盛り、ムッシュは大好きなデンタルガムをしゃぶって車内でお留守番だ。帰り道には、顔なじみの「いずみきのこ園」にも寄って、しめじを購入すると同時に年末の挨拶をする。

二日目も三日目もよく晴れていたので、往復に通った八ヶ岳スカイラインからの山々の眺めが、いつものことながら素晴らしかった。真っ白になった富士山、頭の方だけ冠雪した甲斐駒ケ岳や北岳などの南アルプス、秩父連山の金峰山、そしてもちろん主峰赤岳を初めとする八ヶ岳連峰を一望することができた。
だが、標高1600m~1900mのはずの「大泉清里スキー場」はまだ地肌のまま。9日からオープンと聞いているが大丈夫なのだろうか?もっとも、人工雪を降らすという奥の手はあるけれど。毎年どんどんオープン時期が遅くなり、クローズ時期が早くなっているのが気にかかる。自分たちがよく滑っていた初期の頃には、12月の最初から、上手くするとゴールデンウィーク頃まで滑れたものだったが。やはりこれも、地球温暖化のせいか?

最終日。掃除をして、あらゆる水周りの水抜きをして、電源を抜いて、戸締りをして、いよいよ今年も山荘にお別れだ。来春来たときに問題なくオープンできるように、何度も何度も上へ行ったり下へ行ったり、外に出たり中に入ったり確認するので、けっこう時間がかかった。その間ムッシュは可哀そうに、あっちでウロウロこっちでマゴマゴ。気疲れしたらしく、帰りの車内ではほとんど眠りコケていた。

ところで、最近とみに自分の記憶力に自信が持てなくなり、山荘の冬支度は万端済ませて来たはずなのに、何か忘れて来はしなかったかと氣になる。が、そういう時にはたいてい後で大丈夫だったとわかるので、これ以上心配するのは止めることにした。

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