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2006年8月16日 (水)

あの夏の記憶

“夏休み宣言”をしていたのだが、何かもの足りなくなって、つい途中で戻って来てしまった。これは一種の“ワーカホリック”か? まあ早い話が“貧乏性”ということだろう。

毎夏山荘に出かける時期は、道路の混雑を避ける意味もあって必ずしも一定してはいないのだが、時に、いわゆる“お盆休み”と一緒になってしまうこともある。そしてそんな時には、特に思い出したいわけでも、また思い出したくないわけでもないけれども、フト無意識のうちに、21年前のあの夏の記憶が蘇える。

その頃はまだ山荘を建てていなかったが、子供たちの夏休み中の予定をなんとか調整して八ヶ岳山麓の清里へ出かけようとしていた前々日の夕方、テレビにあのニュースが飛び込んできた。言うまでもなく、後に日航機墜落事故と呼ばれるようになった、1985年8月12日の、あの惨事である。
その時のテレビ情報では、どうやら墜落現場は長野県と群馬県との県境の辺りで、二方から捜索隊が山に分け入っているようなことを言っていた。ので、清里方面に向う国道141号線もさぞや混雑するのではと気がかりだったが、前々から子供たちが楽しみにし、宿も予約していたこともあって、ともかく予定通り家を出た。事故のあった翌々日だった。

清里を通る141号線沿いの東北側の山稜は山梨県と長野県の県境になっており、もうひと尾根越えるとそこは群馬県の御巣高山。その日も捜索は困難と混乱を極めていたはずだったが、山のこちら側は嘘のように静かだった。まだ太陽はカンカンと照りつけていたが、空はすでに秋のように高く、なぜかその日の自分の記憶の中には音がない。

国内線にはあまり乗らなかったが国際線での渡航は数え切れないほどだった自分にも、乗った機体が整備不良で洋上から引き返したり、次の便が原因不明の爆発事故を起こしたなど、危険を紙一重で免れたことが何度かある。それだけに、この時のショックは他人事ではなかったが、たまたま家族旅行という機会と重なっていたため、旅の間はそれについて、あえて、あまり多くを言及しなかった。自分の中にサイレント・ムービーのような画像の記憶しかないのも、あるいはそのせいかも知れない。

実はこの小旅行に出かけるにあたって、もう一つ心の中にわだかまっているものがあった。直前に、実家から知らせがあり、母が危篤状態で余命幾ばくもないということだったが、その頃は存命だった父とも話し合って、2泊3日の旅程が終り次第直行、そしてもし万が一のことがあった場合には途中からでも急行するということにした。
それまでの何年間かは寝たきりで息子の顔もわからなくなっていた母だったので、知らせを聞いてすぐに駆けつけたとしても果たしてどうだったかは確信が持てないが、結果として家族を優先した自分は、もしかしたら親不孝をしてしまったのではないかと、時折り、心のどこかに何かがいつまでも引っかかっているように感ずることがある。

この時は、仕事も多忙を極めていたし、清里も全盛の頃だったので、宿の連泊予約をとるのもなかなかままならず、一泊ずつ移動しなければならなかったが、2泊めのペンションの玄関に足を踏み入れた時、母が逝ったという知らせを受けた。今のように携帯電話などはなかった時代で、予め行く先々の電話番号を連絡しておいたことによって、一報が入った。

今から発てば通夜に間に合うと、腰を下ろす間もなく、覚悟して移動中ずっと持ち歩いていた喪服と香典だけを持参し、一路小諸駅に向う。子供たちはそのまま宿に預け、家内が国道141号を飛ばしに飛ばして送ってくれた。1時間に1本しか来ない小海線で行ったのでは、その時点から一番早い信越線上り列車に上手く接続しないからだ。
ところが、やっと列車には間に合ったものの、群馬県に入った頃から大雨で行く手の河川が増水、名も知らない途中の小駅で足止めを食らってしまった。いつ動き出すともわからず、さんざん探してやっと公衆電話を見つけ、遅れる事情を伝えたが、雨が止んで列車が再び動き出したのは2~3時間後だったような気がする。

“遣らずの雨”が上がると日も暮れて、あたりはすっかり、冷んやりとした夏の終りの空気になっていた。大宮で東北新幹線に乗り換える頃には完全に夜の帳が下り、福島駅から車で実家に辿り着くと、もう深夜といってもよい時間になっていた。

何年ぶりかで対面した母は、ほの暗い一室の夏蒲団の上に、生前あまりしたことのない化粧を施されて、こざっぱりとした浴衣姿で横たわり、心なしか、病に臥せっていた時よりも安らいだ表情に見えた。享年75歳、自分はまだまだそれに追い着かない。

その年の夏は、それやこれやで、お盆休みが過ぎると一気に秋になったような気がする。
母が逝って急に気落ちした父も、その2年半後に母の後を追った。

清里の山荘で夏を過ごすようになってからもう17年になるが、お盆と重なる短い夏の間に、今もあの日々の記憶が、断片的に蘇えることがある。

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