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2006年8月

2006年8月30日 (水)

八ヶ岳の短い夏

先々週から先週にかけて、清里の山荘で夏休みを過ごしてきた。こちら横浜の家を出た頃は連日の30度を越す暑さで、夏の真っ盛りと思っていたが、向こうに着いたら空気も冷んやりと、はや、秋の気配が漂っていた。外気温も20度近くまで下がり、標高1400メートルの山荘の付近には、実際、ハギやオオマツヨイグサなど、秋の訪れを知らせる草花が咲き始めていた。

どうやら八ヶ岳の夏の盛りは、その前の週までだったようで、入道雲が出て激しい夕立が降り、どこかはわからないがごく近所に大きな落雷があったそうだ。首都圏大停電と同じときらしいが、この「清里の森」も変電施設が毀れてしまい、やっと修理が終ったところだと管理センターの人が言っていた。

“雷”といえば、この地域では、“落ちた”のではなくて“入った”という。カラマツやモミなどの高木に落ちた雷が地下を這って、各戸のアースや地下ケーブル経由で屋内の電気・電子器具の心臓部にまで侵入するから、そう言うのだそうだ。

実は我が家でも、思い当たるフシがあった。今回来て見たら、施工業者の言いつけを守って電源を入れっぱなしにしていたウォシュレットが、まったく通電せず、作動しない状態になっていたのだ。以前(山荘を建てたばかりの頃)にも、器具は違うが似たようなことがあったので、すぐに(雷が入ったのではと)ピンときた。
そのときは、ボイラーと電話機の心臓部を直撃されたのだが、あいにく電気屋さんもお盆休みで、数日どうにもならず、えらく不自由した。が、今回はACアダプターにブレーカーが内蔵されていたので電流がそこで自動遮断され、リセットボタンを押すだけで回復した。
冬季の想像を超える水道管の凍結といい、高山の暮らしには何があるかわからないのだ。

ところで今回は、宣言していたように、酷使していたアタマを少しでも休ませようと仕事は一切持ち込まなかったが、ただ毎日グウタラ過ごしていたわけではない。衰えたりとはいえ男の仕事をしようと、カラダは目一杯使ってきた。
珍しく長男と二男も、入れ替わりでやってきたので、彼らにも、この時とばかりと強制労働奉仕をさせた。やはり、男3人で仕事をすると随分作業もはかどるもので、懸案だったことがだいぶ片付いた。

冬の間の厳しい風雪で折れたり倒れたりしたままになっていた朽木・枯枝の処理、横庭・裏庭一面に延び放題になっていた笹刈り、“遊歩道”と名付けている裏庭を周回する枕木の通路に厚く降り積もりこびりついていたカラマツの枯葉の除去など、重い刈払機やスコップを使う単純な力仕事は倅たち。チェーンソーと鉈と鋏を使い分けてする余分な幹・枝の間引きと前庭の部分笹刈り、そしてバルコニー手摺りの塗装など、説明・指示するよりやった方が早い部分は自分の受け持ち。家内も、草花や山菜やキノコのための日照の妨げになる枝葉の剪定に高枝切りを振るった。

結局、全員でまる三日かかったが、それだけの時間を費やした価値はあったような気がする。ムッシュも、行き帰りの道中だけでなく、やや勝手が違う山荘の暮らしにもすっかり馴染み、我々の作業中も騒いだり足手まといになったりすることもなく、自分のペースとポジションをつかんだようだった。

毎年のことなので、特に出かけたいところがあったわけでもなく、いつものように「萌木の村」(今回はムッシュと一緒に入れる「カフェ・ロック」)へランチに、「藤乃屋」へ天ざるの夕食に、2~3度出かけたくらいで、あとは、負担をかけ過ぎて済まないと思いながらも、家内の手を煩わせた。
いつまでもこれではいけないことは分かっている。山荘にいるときぐらい、自分も何か料理を作るようにしなければ...。反省してます、がんばります。

どうと言うほどではないのだが、清里のこの夏、ちょっぴり良いこともあった。マスコミの話題にもなっていた水道問題(一般町民との理不尽な料金差別)も8年越しの裁判で最高裁勝訴。ベランダを付け替えた時に出た廃材の山の処理を2年越しで大工さんに頼んでいたが、それも完了。前述の庭仕事も含めて、何かとスッキリした。

天候にもまずまず恵まれ、夜間雨に見舞われたことは2~3度あっても朝になると上がり、滞在中ずっと晴れか曇りで適度の風もあり、汗をかいてもすぐに乾く絶好の作業日和が続いたのもラッキー。平凡だが何となく楽しい夏休みだった。

今度来るのは恐らく9月の中旬過ぎになるだろうが、もうその頃はすっかり、八ヶ岳の夏は終り、木々も黄ばみ始めて、ハナイグチなど初秋のキノコも生え出しているはず。そんな、たぶん肌寒いくらいの大気を想像しながら帰途に着いたが、1000メートル下って韮崎まで来たらまた30度の真夏に逆戻り。ヒエ~。

でも、残暑にメゲているわけには行かない。いろいろな仕事が順をつくって待っている。

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2006年8月16日 (水)

あの夏の記憶

“夏休み宣言”をしていたのだが、何かもの足りなくなって、つい途中で戻って来てしまった。これは一種の“ワーカホリック”か? まあ早い話が“貧乏性”ということだろう。

毎夏山荘に出かける時期は、道路の混雑を避ける意味もあって必ずしも一定してはいないのだが、時に、いわゆる“お盆休み”と一緒になってしまうこともある。そしてそんな時には、特に思い出したいわけでも、また思い出したくないわけでもないけれども、フト無意識のうちに、21年前のあの夏の記憶が蘇える。

その頃はまだ山荘を建てていなかったが、子供たちの夏休み中の予定をなんとか調整して八ヶ岳山麓の清里へ出かけようとしていた前々日の夕方、テレビにあのニュースが飛び込んできた。言うまでもなく、後に日航機墜落事故と呼ばれるようになった、1985年8月12日の、あの惨事である。
その時のテレビ情報では、どうやら墜落現場は長野県と群馬県との県境の辺りで、二方から捜索隊が山に分け入っているようなことを言っていた。ので、清里方面に向う国道141号線もさぞや混雑するのではと気がかりだったが、前々から子供たちが楽しみにし、宿も予約していたこともあって、ともかく予定通り家を出た。事故のあった翌々日だった。

清里を通る141号線沿いの東北側の山稜は山梨県と長野県の県境になっており、もうひと尾根越えるとそこは群馬県の御巣高山。その日も捜索は困難と混乱を極めていたはずだったが、山のこちら側は嘘のように静かだった。まだ太陽はカンカンと照りつけていたが、空はすでに秋のように高く、なぜかその日の自分の記憶の中には音がない。

国内線にはあまり乗らなかったが国際線での渡航は数え切れないほどだった自分にも、乗った機体が整備不良で洋上から引き返したり、次の便が原因不明の爆発事故を起こしたなど、危険を紙一重で免れたことが何度かある。それだけに、この時のショックは他人事ではなかったが、たまたま家族旅行という機会と重なっていたため、旅の間はそれについて、あえて、あまり多くを言及しなかった。自分の中にサイレント・ムービーのような画像の記憶しかないのも、あるいはそのせいかも知れない。

実はこの小旅行に出かけるにあたって、もう一つ心の中にわだかまっているものがあった。直前に、実家から知らせがあり、母が危篤状態で余命幾ばくもないということだったが、その頃は存命だった父とも話し合って、2泊3日の旅程が終り次第直行、そしてもし万が一のことがあった場合には途中からでも急行するということにした。
それまでの何年間かは寝たきりで息子の顔もわからなくなっていた母だったので、知らせを聞いてすぐに駆けつけたとしても果たしてどうだったかは確信が持てないが、結果として家族を優先した自分は、もしかしたら親不孝をしてしまったのではないかと、時折り、心のどこかに何かがいつまでも引っかかっているように感ずることがある。

この時は、仕事も多忙を極めていたし、清里も全盛の頃だったので、宿の連泊予約をとるのもなかなかままならず、一泊ずつ移動しなければならなかったが、2泊めのペンションの玄関に足を踏み入れた時、母が逝ったという知らせを受けた。今のように携帯電話などはなかった時代で、予め行く先々の電話番号を連絡しておいたことによって、一報が入った。

今から発てば通夜に間に合うと、腰を下ろす間もなく、覚悟して移動中ずっと持ち歩いていた喪服と香典だけを持参し、一路小諸駅に向う。子供たちはそのまま宿に預け、家内が国道141号を飛ばしに飛ばして送ってくれた。1時間に1本しか来ない小海線で行ったのでは、その時点から一番早い信越線上り列車に上手く接続しないからだ。
ところが、やっと列車には間に合ったものの、群馬県に入った頃から大雨で行く手の河川が増水、名も知らない途中の小駅で足止めを食らってしまった。いつ動き出すともわからず、さんざん探してやっと公衆電話を見つけ、遅れる事情を伝えたが、雨が止んで列車が再び動き出したのは2~3時間後だったような気がする。

“遣らずの雨”が上がると日も暮れて、あたりはすっかり、冷んやりとした夏の終りの空気になっていた。大宮で東北新幹線に乗り換える頃には完全に夜の帳が下り、福島駅から車で実家に辿り着くと、もう深夜といってもよい時間になっていた。

何年ぶりかで対面した母は、ほの暗い一室の夏蒲団の上に、生前あまりしたことのない化粧を施されて、こざっぱりとした浴衣姿で横たわり、心なしか、病に臥せっていた時よりも安らいだ表情に見えた。享年75歳、自分はまだまだそれに追い着かない。

その年の夏は、それやこれやで、お盆休みが過ぎると一気に秋になったような気がする。
母が逝って急に気落ちした父も、その2年半後に母の後を追った。

清里の山荘で夏を過ごすようになってからもう17年になるが、お盆と重なる短い夏の間に、今もあの日々の記憶が、断片的に蘇えることがある。

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2006年8月 1日 (火)

気まま夏休み

長かった梅雨がやっと明けた。それを機にというわけでもないが、年初からほぼウィークリーで続けてきたこのブログを、勝手ながら、ここらでチョッとひと休みとしたい。
一応、8月いっぱいの積りだが、そこはソレ、“気まま”と称しているくらいだから、何か書きたいネタが出てきたら、その間でもヒョッコリ、休みから戻ってくるかも知れない。

夏休みといっても、実際は、すべてのことから解放されて1ヶ月まるまるどこかに雲隠れできるわけではない。月例のコンサルティングや原稿もあれば、前から予定が入っている会議や打ち合わせなどもあって、都心まで出かけたり、家にいても一日中パソコンにへばりついている日もある。ので、その間隙を縫って、普段よりはマメに山荘通いをし、少しでも長い時間、頭と手指を休めてきたいのだ。

もちろん、仕事類は一切持ち込まず、森の木々の枝落としや下草刈りなどの肉体労働に徹し、このところ大分消耗気味の脳内をリフレッシュ・充電してくる積りだが、果たしてその通りに行きますやらどうやら?

世間に先がけ休みモードに入って、この暑さの中で毎日頑張っている第一線の皆さんには申し訳ないが、ご同様にしていた若い頃とは違って、そうでもしないとだんだん保たなくなってきた。

皆さんも、働き過ぎで夏バテせぬよう、くれぐれもご自愛を祈ります。

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