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2006年6月

2006年6月27日 (火)

父の日プレゼント

先週の日曜日、娘からズシリと重い宅急便が届いた。早速開けてみると、“父の日プレゼント”仕様の「虎屋」の羊羹と最中の詰め合わせ。アルコールがまったくダメで甘いもの(それも和菓子)には目がない父の嗜好を思い出してくれたのだろうか。ともかく、欲しいものが特に思い浮かばない今では、こういう贈り物が一番嬉しい。小さい頃は、手書きイラスト入りの手作りカードなどをくれた娘も、いまは一児を持つ身。自然に、親の喜ぶ何気ないものに気がつくようになったのだろうと思う。

そこへ行くと、せがれ達は電話もかけてこないが...などと心のうちで思っていると、次男が一週間遅れの父の日プレゼントと、一カ月余り遅れの母の日プレゼントを持ってやってきた。長男は、「母の日」こそ忘れなかったが、「父の日」は多分、忙しくて念頭に浮かばなかったのだろう。まあ、それで良い。こちらも、別にプレゼントを楽しみにしているわけではないし、自分の若い頃だって、そんなにマメではなかった。

ところで我が家では、「父の日プレゼント」のことを“父プレ”という。「母の日プレゼント」は“母プレ”、「誕生日プレゼント」「クリスマスプレゼント」はそれぞれ“誕プレ”“クリプレ”だ。多分、我が家だけでしか通用しない言い方だろう。

もう随分前のような気もするし、ついこの間のような気もするが、子供たちが全員家にいた頃は、何かというとプレゼントをし合っていた。もっとも品物を贈るのは夫婦間と親から子へだけで、子から親へと子供達の間は、カードか口頭でのグリーティングだけだった。
それでも、家の中で賑やかなことをするのが大好きな家族だったので、毎年の父プレ、母プレ、誕プレ、クリプレに大騒ぎしながらお道化たポーズで撮った写真と寄せ書きのカードが、今も残っている。可笑しいのは、意識しているわけでもないのに、みんないつも同じポーズで写っていること。でも、そんな写真をあらためてよく見ると、子供たちは年々成長して、体つきや顔つきなどが少しずつ変化しているのがわかる。

あの日々はもう帰ってこないが、今度は子供たちの家族がそれを繰り返してくれればそれで良い...などと、渋茶を啜り最中をパクつきながら、ついいつの間にか、来し方を振り返って物思いに耽っていた。自分もそういう歳になってしまった。

最中と羊羹ですっかり満足していたのだが、それだけでは何だか可哀そうだからと、家内が何かプレゼントしてくれるという。これは何プレと言えばよいのか? ずっと“お父さん”と呼ばれてきたから、やはり“父プレ”か?(これがホントの“親父”ギャグ!)

何がいいかと聞かれたが、格別にこれといって欲しいものはない。強いて言うなら、いくらあっても良いのは着る物ぐらいだろうか。それも今ではもう、毎日取っ替え引っ替えしているわけじゃあないのだから、どっちでもいいのだが...。と、グズグズしていると、「サマー・ジャケットでもどうなの?デパートを見てらっしゃい。」と“鶴の一声”。で、久し振りに、多摩川を渡ったところのT屋デパートと、近所の私鉄系T急デパートのメンズ・フロアを巡ってみた。

両店とも、けっこう時間をかけて見て歩いたのだが、なかなかこれはというものが見つからない。ただやたらと歩き回っても疲れるばかりなので、若い頃から好きだったアメリカン・トラッドだけに絞って、PR、BB、JP、PSなどをもう一度見直すと、ありました! 好みに合って試着してもピッタリのものが、近所のT急デパートのJPに。
でもよく考えると、カラーも生地もデザインも似たようなものを既に3着持っており、これに決めたら流石に呆れられるのではないかと思い、ドナーに一緒に来てもらって客観的な意見を聴いてからにしようと、出直すことにした。主体性がないのだ、我ながら。

昔は、勝手に衝動的に気に入ったものを買ってきては、ときどき眉をひそめられたり、いつの間にか没収されたりしていた。その頃は多分、自分自身がイメージしている自分と外から見た自分が食い違っているのに気がつかなかったのだろう。では、この頃は自分が見えるようになったのかと問われると、それも自信がない。イヤハヤ、すべてにそれでは困るのだが、たかが着る物のことだから、まあいいことにして欲しい。

付き添いつきで再度JPに行くと、案の定、最初目をつけたものは“ン?”で、その時見過ごして試着もしてみなかったカラーとデザインのものを見立ててもらったら、意外にマッチすることがわかった。こんなに目が節穴になっているとは自分でも気がつかなかった。綾小路きみまろが言いそうだが、もうこうなったら、ついて行くしかありません、あなたに。今はつくづく、“老いては子に従え”ではなくて“妻に従え”だと実感。

何はともあれ、久し振りの父プレ・ラッシュは、家族がみんな元気でやっていることの証し。ささやかなことだが、そういう平凡さを幸せに思う。

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2006年6月24日 (土)

奇跡は起こらなかった

アーァ、肩が凝った。息苦しい。サッカー・ワールドカップの日本対ブラジル戦が終った直後から、これを書いている。敗戦のインタービューなど辛くて見たくないから、テレビのスイッチも切ってしまった。奇跡が起こることを願っていたが、やっぱり無理だった。
サッカーは素人なので、わかったようなことは言えないが、オーストラリア戦とクロアチア戦はともかく、ブラジル戦は実力の差だろう。

個々のプレーを振り返って“たら”“れば”を言っても今さら始まらないから何も言わないが、ただ三つの試合を通じて、我々日本人の、フィジカルだけでなくメンタルでの“押しの弱さ、淡白さ”みたいなものは感じた。
ともあれ、選手たちは、いつまでも落ち込まず、挫折から立ち上がって強くなって欲しい。ジーコもご苦労様。自分も頭を冷やし、これでまた日常に戻ることにする。大事なことがほかに幾つもあるのだから。

今日は午後から山荘に行くことにしていたので、途中眠くならないよう、試合開始の時間までは少しでも睡眠をとっておこうと、いつもよりは少し早めに布団に潜った。3~4時間は眠ったようで、目覚ましをかけていたがそれが鳴り出す前に目が覚めた。
本来なら、居間のテレビを家内と共に大騒ぎしながら見るところなのだが、居間の隅にはムッシュのケージがあり、せっかく8時ごろからグッスリ眠っている(いつも夜の7時半頃から朝の9時頃まで眠る)ので、我々が騒いで起こすには忍びないと、ドアを閉めボリュームを下げて、それぞれの自室で見ることにした。

最初は横になって見ていたが、日本が先取点を入れた時に起き上がってしまい、前半のロスタイムで同点に持ち込まれた頃から椅子に座っていられなくなり、後半は室内を歩き回りながら、あえてチラチラと横目で見ていた。家内も同じらしく、立ったり座ったり落ち着けない様子が伝わってきた。
地区予選やオーストラリア戦、クロアチア戦でも、始まるまでは楽しみにしていながら、いざ試合開始となると怖くてみていられないと言って毛布をかぶったり、別室へ逃げてしまったりする家内のこと、ゲームセットでさぞショックを受けているだろうと、すぐに“お見舞い”(?)に行くと、あまりの完敗だったせいか意外にさばさばしていたのでひと安心。

何だかんだしていたら、もう7時になる。これから寝ようと思っても無理なので、今日はこのまま起きていて出かけることにする。清里の森のホームページで天気予報を見たら、幸い午後からは晴れるらしい。

ここのところ公用私用があって何かと忙しく、つい今日に至ってしまったが、前回行ったのは5月の初めだからもう7週間になる。遅咲きの深山桜も散り、ウドやタラの芽ももう葉が開いてしまっているだろう。せめてフィトンチッドだけでもたっぷり浴びてくるか。

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2006年6月19日 (月)

新車に替えるとき

今月の初め、6年ぶりに車を替えた。今まで乗っていた車に特に問題があったわけでも、はたまた特に購買意欲をそそられた新モデルがあったわけでもないのだが、何となく、気分転換(自分よりは家内の)という感じで買ってしまった(真のターゲットは家内なのだ)。まあ、今どき新車に乗り替えるのは、どこの家庭でも何も珍しいことではないのだが、我が家的には一つだけ画期的なことが...。

それは、今回は自分の車歴の中で初めてAT車にしたということ。そう、我が家は、1964年に最初のマイカーを購入して以来ずっと、MT車に乗ってきたのである。トヨタのパブリカから始まって、いすゞのべレット、ホンダの1300クーペ、ニッサンのローレル、トヨタのマークII、ニッサンのテラノ、そして直前のスバルのフォレスタと、さまざまなメーカーのさまざまなモデルに乗ってきたが、一貫してMT車だった。もっとも、最初の頃には、AT車はまだ日本の市場に存在していなかったが。

この時代にMT車とは、鶴田浩二の「傷だらけの人生」ではないけれど“古い奴だとお思いでしょう”(この譬え自体が古い!)が、そこには自分たち(家内も)なりのこだわりがあった。AT車も初期には何度か試乗してみたのだが、“アクセル・レスポンスがどうもしっくり来ない”の“運転する面白みがない”のと吹いているうちに、こうなってしまった。
最初のパブリカ(その名の通り低価格・高経済性の当時の大衆車、予算的にこれしか手が出なかった)と途中のローレルとマークII(この時期、いつも5人家族の全員を収容する必要があった)は別として、他は一貫して、MT車であることが意味を持つスポーツ・タイプ車か4WDのオフロード・タイプ車に乗ってきた。だから今回も、そろそろディーラー巡りをしてみようかなと思い立った時には、MT車しか念頭になかった。

ところが最近は、MT車は不当にマイナーな存在に押しやられているようだ。高級スポーツカーは別として、ほどほどの価格帯でスポーティ・ワゴンというと、ニッサンのXトレイルかスバルのフォレスタまたはレガシイぐらいにしかMT車はない。
ただスバルは、情報はよく送ってくるのだがしょっちゅう営業マンが変り、親しく話す機会もなくなってだんだん気持ちが冷め、次は別のメーカーの車にしようかと思っていたところだったので、まずはニッサンに行ってみた。
ニッサンにはもともと付き合いの長い営業マンがいたし、ニッサン車そのものも嫌いじゃなかったのだが、テラノを買い換えようとした時MT車がなくなってしまい、それでMT車の揃っているスバルにしたのだった。

ところが、久し振りに訪ねてみると、その営業マンは3回行って3回とも休み。よく聞けば病気で長期療養中という。おまけに、XトレイルのMT車はその店には置いてないし、他の店からも回せないという。結局、カタログとAT車を見ながら話をするしかなかったが、よく聞けば、MT車は最下級の車種なので、オーディオや余計なアクセサリーは一切付いておらず、ごく一般的な装備にするだけでAT車よりも高くつくことがわかった。
これは、量産車種だけに絞って生産や販売を効率化しようとするゴーンさんの戦略か?シートが撥水性のみを重視した素材であることや、メーター・パネルが運転席の真正面ではなく左方にズレている(ダッシュボード自体の中央ではあるが)ことにも違和感があった。

せっかく盛り上がっていた購買意欲がかなり萎えてしまい帰宅してみると、郵便受けにスバルのこの地区担当営業マンの顔写真入りニューズレター形式チラシが入っていた。普段なら一瞥するぐらいなのだが、タイミングが絶妙だったのでつい読んでみると、ちょっとそそられる、予想外にお買い得な情報が載っていた。
かくてその後はスバルへ行って、話も聞き試乗もするのだが、やはりMT車はフル装備すると高くつき、今回の情報にあったATの特別仕様車が最もお買い得とわかった。レガシイB‐スポーツという4WDワゴンである。こんどの担当営業マンも、以前の何人かとは違って、我が家のようなやや気難しい顧客の心理をよく理解しているようだ。

というわけで、何のことはない、結局これまでと同じスバル車に落ち着いた。自分でコロコロ心変わりしていながら客観的な言い方をするのも何だが、スバルとしては、地道な顧客コミュニケーションを続けたことによる勝利ということになるのだろうか。またニッサンとしては、長期顧客だったが1台空いた客に対してリレーションシップを維持し切れなかったことと、せっかく顧客が自ら接触してきたのに適切な対応ができなかったことが敗因か。興味のある方は独自に、原因と結果を関係付けてみてください。(誰も興味ないか!)

初めて同然のAT車で、今はまだマニュアルを確認しながらの運転だが、思っていたよりも進化していてあまり戸惑いはない。前車のフォレスタとくらべても高級感とゆとり感があってなかなかよろしい。まあまあ気に入った(と、家内も言っている)。

ディーラー巡りをしている時はいつもムッシュ連れだったが、本人(いや本犬)の承知しないうちに、いつのまにか座りなれたフォレスタからレガシイに変ってしまって、彼はいま車内では妙におとなしい。ハテ、何を感じ、何を想っているのだろう。

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2006年6月12日 (月)

早稲田の今昔

前回紹介した「レスポンス広告塾」で2回目のレクチャーをしたのは先月末30日の午前だったが、その日の午後は、母校早稲田大学の商学部で「ダイレクトマーケティング論」の授業。商学部事務所に顔を出す予定の時間より1時間ほど早めに着いてしまったので、先にランチを済ませておこうかと、キャンパスの周囲をブラついてみた。

「大隈講堂」脇からもとの都電通り(新目白通り?)へ抜ける細い路地(「大隈横丁」だったか)の左側には、昔は食堂(レストランではない)や学生用品の店が沢山あったような気がするが、今ではほとんどなくなって閑静な住宅地に変貌し、入口に近いところにわずかに一軒、制帽屋さんが残っていた。後で商学部教務主任の嶋村先生に伺ったところ、辛うじて今でも、体育会の応援団などの需要があるのだそうだ。

道の右側には、今は「大隈会館」のビルが建っているが、ここには昔、「学生ホール」(すなわち学生食堂)があったはず。いつも懐がピーピー言っていた我々は、10円の素うどんと10円の肉まんとの合計20円で昼食を済ませたこともよくあった。
とは言えあの頃は、年中腹を空かせていたが、最近は昼どきになってもあまり腹が空かない。で、“軽く”サンドイッチでもつまもうかと大隈会館隣の「リーガロイヤル・ホテル」のカフェに入ったら、ドリンクと一緒で“軽く”2000円あまり。まさに今昔の感があったが、卒業してからもう45年以上、物価も何もかも変って当たり前なのだろう。

ここのところ毎年、大隈会館の「完之荘」かリーガロイヤル・ホテルでクラス会を開いているので、早稲田に来るのは別に久し振りではないのだが、いつも晩秋の休日だったせいか、寒々とした曇り空と、まばらな人影と、地面に散り落ちた黄色い枯葉の印象しか残っていない。それが今日はどうだろう! 初夏を思わせる陽射しの下で沢山の学生たちが闊歩し、厚く葉の茂った並木の濃い緑が目に沁みる。
ちょうどランチタイムだったからか、きれいに芝が生えそろった「大隈庭園」は、座り込んで思い思いに食事を広げている男女の学生たちで一杯だ。みんな真面目そうで、適当にオシャレで、そこそこ満ち足りた顔つきをしている。ここも、あの頃とは、人も風景もすっかり変ってしまった。

正門横の本屋さん「成文堂」にもフラリと寄ってみる。この店にも随分とお世話になった。あの頃は貧乏だったから、教科書も滅多に新本が買えず、ほとんど古本ばかりだった(それも用が済むとまた売ってしまうのだが)...と、そんなことを思い出しながらも、つい習慣的にマーケティング書のコーナーに目が行く。 と、オオ、置いてあるではないか、私の「体系ダイレクトマーケティング」が!

そう言えば、先月下旬の「広告D社賞」の選考委員会でお会いした同じ商学部の守口先生も、「読んでますよ」と言ってくれていた。分厚くて高価なので、どこの書店も喜んで置いてくれるような本ではないのだが、やはり早稲田はちがう――などと勝手に解釈して、ちょっぴり嬉しくなった。

事務所のある1号館に着くと、本授業のコーディネーターをしてくださっている亀井先生と入口でバッタリ。事務所が本来の商学部棟から移ったので、もしや私が迷っているのではと心配して、迎えにきてくださったのだそうだ。恐縮、恐縮。そう言えばこの1号館は、自分の時代には政経学部棟で、その隣の2号館が自分たちの法学部棟だった。外観はほとんど変っていないような気がしたが、中に入ってみるとさすがに改装されていて、昔と比べて格段にきれいに明るくなっていた。

亀井先生のお話しによれば、商学部が入る新しい高層ビルがいま建設中だそうで、そのため事務所も教室もしばしの間、分散を余儀なくされているという。本日の授業も、本来の商学部棟ではなくて、自分たちの頃には存在しなかった14号館という中層の新棟でということだった。
教室に入ると、昼休み直後というのに、定員約300人の座席は見たところ既にほぼ満員。でもこれは、別に自分の授業に人気があるわけではなくて、亀井先生のご威光に違いない。そして多分、今どきの早稲田の学生は、真面目で学習意欲が高いのだと信じたい。

事前にパワーポイントのデータを送って備え付けのコンピュータにダウンロードしておいてもらったお蔭で、「ダイレクトマーケティングの今日的意味」と題したスライドプレゼンテーションによる講義(本ブログの左下にある「中澤功講義・講演集」参照)はスムーズに開始、そして済ませることができた。サテ、学生たちはどう受け止めてくれたろうか?
ビジネス環境が大きく転換しつつあるこの時代、新しいマーケティングの牽引役を果たすに違いないダイレクトマーケティング関して、学生たちに伝えておきたいこと、知っておいて欲しいことは沢山ある。ぜひまた何時か、ここに戻ってきたいものだ。

何かこもごもの想いが胸に残って急にはキャンパスを立ち去り難く、振り返ると大隈候銅像と講堂の時計台は昔のままだった。あえて遠回りをして、馬場下交差点に出てから地下鉄駅に向ったが、気がつくとちょっぴりセンチメンタルになって、“あれ見よ彼処の常盤の森は、心のふるさと我らが母校...”と、小さく校歌の3番を口ずさんでいた。

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2006年6月 5日 (月)

レスポンス広告塾

先週・先々週と2週続けて、広告の企画(プランニング)および制作(クリエーティブ)実務者向けの「レスポンス広告塾」というワークショップで話をする機会があった。

“レスポンス広告”とは、端的に言えば、一方的にメッセージを発信するだけでなく、それに対する何らかのかたちでの反応(レスポンス)と、それに伴う諸情報を取り込むことを目的とする広告のことだが、よく注意して見ていると、さまざまなメディアによる広告のかなりの部分は、事実上そのようなものになっていることがわかる。特にインターネットの場合は、メディアそのものの特性上、広告主が意識しているといないとにかかわらず、すべての広告は顕在・潜在的にレスポンス広告であると言っても、あながち言い過ぎにはならないだろう。

これまでいろいろな場でさんざん書いたりしゃべったりしているので、ここでは細かい話は繰り返さないが、自分だけでなく他の多くのマーケティング専門家も認めているように、昨今では、企業主導・商品中心の情報を一方的に発信して市場を動かそうとする、伝統的に主流だった広告モデルの効果が、どうも怪しくなってきた。通信技術環境がかつてとはくらべ物にならないほど進化・革新し、そのような情報は、市場の消費者側が主導権を持って選択的に入手するように状況が変化してきたからだ。

したがって、その傾向を読めないまま発信される伝統型の広告は、きわめて無駄の多いものにならざるを得ず、必然的に、市場・顧客との直結コミュニケーション・チャネルを構築するためのレスポンス広告と言われるスタイルの広告が急速に増え始めている。伝統型広告メディアの最たるものであるテレビ放送すらデジタル化・双方向化するごく近い将来には、“広告”と言えば、現在で言うレスポンス広告的なものを意味するようになっているかも知れない。

なのに、そのことの重要性についての広告関係者間での認識は、今もって驚くほど狭く浅い。大部分の広告主(広告宣伝担当者?)は、レスポンス広告と呼ばれている目的・スタイルの広告を、軽視・曲解し、広告のクリエーティブ実務者もそれについて無知だったり、誤解したりしている。もともとこのスタイルの原型が通信販売広告だったこともあり、またそれに使用されるメディアがいわゆる“Below-the-line”のマスメディア以外のものが多かったこともあって、なぜか未だに広告としては傍流視され、このような“特別なジャンル・手法の広告”といった見なされ方、呼ばれ方をしているのだ。
わが国の現状としてはことにそうなのだが、欧米でも、もはやそうではないとも必ずしも言い切れない(特にヨーロッパでは)ところが残念である。つまりこれは、これからも追求してゆくべき、マーケティング上の大きな研究課題の一つなのだ。

少なくとも日本国内ではそういう状況だったから、レスポンス広告に集中したプランニングやクリエーティブ実務者の指導・育成には、それぞれの関係企業内でもあまり力が入っていなかったし、外部でも、そのためのセミナーやワークショップが開催される機会は皆無に近かった。
言い訳がましくなるが、自分もそのことを今さら気付いたわけではないのだが、まずはレスポンス広告を含む今日的ダイレクトマーケティングの理論体系構築とその啓蒙・普及をということで、これまでは分かっていながら手がまわらなかった。

そんなところに、かねてから懇意にしている3社の協力――マーケティング・コンサルティング会社「ニューロテクニカ」の企画、業界専門誌「アイ・エム・プレス」の後援、社団法人「印刷技術協会」(JAGAT)の主催――で首記のようなワークショップが実現すると聞き、我が意を得た思いがした。そして、及ばずながら講師として一役買う気になった。
今では何だかんだと理屈をこねるのが仕事のようになっているが、実は自分も、もとをただせばマーケティング・プランナーで広告クリエーター。戦略企画を立て、コピーも書けばデザインもする。成功も失敗も重ねてきて、特にレスポンス広告については、語っておきたいこと、伝授したいことが山ほどある。そんな血が思わず騒いでしまったのだ。

この広告塾は、今期は確か6月の中旬過ぎまで開講しているはずで、秋期の開講も内定していると聞く。今回自分は、“広告クリエーティブの本質論”と、それに取り組むについての“持つべきマインド”と“とるべきスタンス”について、いわば総論的な話をしたのだが、各専門分野の講師たちはいずれも現役の経験豊富な実力者ぞろい。自分自身も第一線の実務者である受講者たちは、きっと、講師たちとそして受講者同士で切磋琢磨し合い、何かを掴んでくれたに違いない。いろいろな意味で、次回が楽しみだ。

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