« 犬の気もち | トップページ | テレビCMはイメージ&レスポンス »

2006年3月 7日 (火)

アイス・スケートあのころ、このごろ

トリノ冬季オリンピックが閉幕した。メダルの数や色がどうのこうのというよりも、終盤の荒川静香選手の氷上の舞がすばらしかった。それで十分満足できたし、この結果を通じて日本のウィンター・スポーツの決して十二分とは言えない環境が浮き彫りにされたことも、それはそれで今後のために意味があったと思う。

自分の少年時代は、オリンピックと言えば今でいう夏季五輪のことで、猪谷千春というスキーヤーが外国で快挙を成し遂げたというニュースを聞いても、それが冬季五輪でのことだったとはあまり意識していなかった。何しろ、東北でもそれほど雪深くはない阿武隈川沿いの梁川という町で生まれ育ったもので、橇すべりやスケートには小さい頃から親しんでいたものの、スキーをする人の話など町で聞いたこともなかったのだ。

いま考えると比較的近くにスキー場があったはずの福島市の高校に行くようになっても、スキーは道具にも場所にも金がかかるスポーツで普通の高校生には縁のないものと思い、あまり興味も持たなかった。もっとも、硬式野球部に所属していたので、冬でも他のスポーツに時間を割いている余裕がなかったことも理由だったかも知れない。
早稲田大学時代は貧しくてアルバイトに明け暮れ、社会人になってからは仕事と家庭で手一杯、ゴルフは何とか仕事の延長で嗜むようになったけれどスキーまではなかなか手が回らず、前にも書いたようにとうとう50歳を過ぎるまで機会がなかった。

そこへ行くと、スケートを始めたのは小学生の頃。と言っても、スケート靴を持っていたわけではなく、町にリンクがあったわけでもない。初めは手製の“竹スケート”(20~30センチの長さに切った孟宗竹を縦半分に割ったものに下駄のように鼻緒をすげたもの)で、真冬の夜更けにカチカチに凍った町の大通りがリンク代わりだった。
その次が少しレベルアップして“下駄スケート”。7~8ミリ角で長さ30センチほどの鉄棒の先端と後端の部分を曲げ上げて歯のない高下駄の裏側の峰の部分に打ち付けたもので、当時は主流派の商売だった下駄屋さんで作ってもらった。と言っても今では、下駄ですら履く人はほとんどいないから、下駄スケートなどと言っても想像もつかないだろう。これは竹スケートよりは滑りが良かったが、重くてバタバタしていた。
そして中学に入る頃、やっと誰かから“靴スケート”を借りて使うことができるようになった。しかしこれとて、今のようなエッジと靴の一体型ではなく、ゴム長靴を履いた上に前後部2箇所のバンドで取り付ける方式のものだった。本来は編み上げの皮靴に取り付けるべきものだったが、そんな靴は高価でとても買ってもらえなかった。それでも、これで初めて天然のリンク(町の城跡の周濠が凍結したもの)にデビュー、本格的に滑るようになり、そこで一通りのスケーティングの技を覚えた。

大学時代から社会人になりたての頃(1950年代末から60年代初期)のアイス・スケートは、割りあい近場で、一人でも多人数でも、また時間内ならいつ行っても、そして貧乏学生の乏しいお小遣いでも楽しめる、極めて身近なスポーツだった。正確に覚えているわけではないが、当時は郊外にはもちろん、後楽園、新宿、東雲、芝、品川、池袋(?)など東京のど真ん中に、アイス・スケートのリンクが沢山あったような気がする。

土地投資効率の問題か、かつてとくらべるとアイス・スケート場は全国的に激減しているようだが、オリンピック・バックアップのためはもちろん大衆スポーツ文化の維持のためにも、何とか昔のように増やせないものだろうか。カーリングもいいけれど、スケートはもっと底辺が広いと思う。ニューヨークのマンハッタンでは冬になると、ロックフェラーセンターやセントラルパークのリンクで、年配者も小さな子供も、男性も女性も、夢中になって滑っており、米国がアイス・スケートに強いのも成る程なと思わせられる。

そう言えばこんな事もあった。日本リーダーズダイジェスト社に入社して2年目の春だったと思うが、友人からスケート・リンクの利用券を2枚もらったので、どこのリンクの券かもよく見ずに、早速、気になっていた1年後輩の社内の女の子を誘った。休日の午後に水道橋で待ち合わせて後楽園へと足を運んだが、入口で券を取り出すと、何とそれは後楽園ではなく、江東区の東雲スケート場のものだった。(ガ~ン!! これはもうダメだ)と思ってうなだれていたら、彼女はニコニコしながら、“まだ時間があるから行ってみましょうよ”と言ってくれるではないか。 
たちまち立ち直り、そこからバスに乗って東京駅まで引き返し、さらに東雲桟橋行きの別のバスに乗り換えて、合計1時間半かかった後やっと現地にたどりついたが、その時にはもう日も暮れかかっており、滑れる時間もあとわずか。どこからか、この間抜けさ加減を揶揄するかのように、植木等の「スーダラ節」が聞こえてきた。

それからウン十年、懲りもせず相変らず、ときどき間抜けをやらかしている。そしてその度に、あの時ニコニコ笑って許してくれた女の子は天を仰いで、「あーあ、ワタシ、後楽園で逃げてしまえばよかったのよね。失敗したわ。」とぼやいている。

|

« 犬の気もち | トップページ | テレビCMはイメージ&レスポンス »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アイス・スケートあのころ、このごろ:

» WBC日本代表チーム、アメリカへ。 [大阪、おおさか、OSAKA]
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2次リーグに向けて、日本代表チームが [続きを読む]

受信: 2006年3月 7日 (火) 16時04分

» 下駄 [竹虎 お客様の声]
... [続きを読む]

受信: 2006年4月 3日 (月) 13時47分

« 犬の気もち | トップページ | テレビCMはイメージ&レスポンス »