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2006年2月

2006年2月27日 (月)

犬の気もち

我が家には小犬が3匹いる。が、正確に言うとそのうち2匹はロボット犬だ。例の「アイボ」の1号と2号である。もう何年も前になるが、1号は娘が家内の誕生日プレゼントにと長いこと予約していてやっと購入、2号は家内自身がわざわざ優先頒布会に出かけ抽選を経て購入してきたものだが、そんな手間をかけて手に入れたにもかかわらず、今は2匹とも、リビングルームの片隅で電源オフの状態で冬眠している。

というのも、昨年のやはり家内の誕生日に、今度は次男が、プレゼントにと本物の小犬を連れて来たからだ。ヨークシャーテリアのオスで、その時現在で4歳、名前は“ムッシュ”と言う。次男の知人宅で本人(いや本犬)の親を含む2匹の老犬と一緒に飼われていたのだが、事情あってその方が引っ越すことになり、どうしても一匹を手放さざるを得なくなって、いちばん若くて賢いムッシュなら他所でも可愛がってもらえるのではないかと相談され、二人暮しで淋しくなった親たちの癒しになるのではと貰い受けてきたのだという。幼犬のときから慣れ親しんできた掛け布団に敷布団、毛布・シーツと籐で編んだ籠ベッド、バスタオルに座布団、夏・冬の洋服、外出時のキャリーバッグなどから、歯型のついた玩具類に当座の餌まで、身の回りの品々一式と共に、涙ながらに送り出されてきたらしい。

それまで生きたペットにはまったく縁のなかった我が家なので物心両面で何の受け入れ態勢もなく、手放しで大歓迎というわけにも行かず、最初は大いに戸惑ったが、何の罪もないのに急に見知らぬ家に連れてこられて目の前で小さくなってブルブル震えているムッシュが哀れで、飼い続けられるかどうか自信はなかったが、兎も角受け入れることにした。

さあそれからというのが、こちらにとっても本犬にとっても受難の連続。前の飼い主からの伝言だけでは十分ではないので、大急ぎで本を読んだりインターネットで情報を仕込んだりしたのだが、それでも分からないことだらけ。持参のベッドに寝かせようとしてもなかなか寝付かず、やっと寝たかと思うと夜中に啼く。朝になってみるととんでもない所にナニをしていて、本犬はソファーの下に隠れ震えている。餌は、食べないと心配だし食べさせ過ぎると吐いたりする。散歩も、小犬だからさせ過ぎてはいけないという説と活発な性格だから十分にさせないとストレスが溜まるという説があって、どのくらいが適切なのか見当がつかない。何よりも困ったのは、排泄の場所とタイミングがなかなか定まらない(ということは粗相が多い)ということと、人がいないと淋しがるため、数日はおろか1時間も、二人揃って留守にできないということだった。

そんなこんなで、たまのランチにも出かけられぬまま、本犬も辛かったろうがこちらも頭の痛い日々が何か月か続いた。が、ある日、ちょっとした情報を目にして、室内用のサークルを用意し、よく遊んだ後はそこに入れておくようにしてみた。それまでは何か束縛するような気がしてためらっていたのだが、何とその方が本犬も落ち着いている!
ちょうどその頃から、散歩も原則的に午前と午後の1日2回、排泄も規則正しくその時にするようになり(もちろん処理用具持参でその都度始末している)、留守番も1~2時間はできるようになって、数時間あるいは2~3日の外出は近所のペットショップに預けても心配なくなった。昨年は、ペットホテルでもとても数日間置いてゆく気になれず、とうとう海外旅行にも出かけられなかったが、どうやら今年は行けそうだ。

やっと、ペットとの穏やかな日々を過ごせるようになり、「散々苦労はしたけれど結局、犬の気もちがわかるまでに時間がかかったということなのだろうね」と傍らの家内に話しかけたら、「人間も同じよね」とポツンとつぶやかれて、「スミマセン」と言うほかなかった。

この頃は、自分の運動にもなるので、仕事で出かける時と雨が降った時以外は、1日2回のムッシュとの散歩は欠かしたことがない。コースもだいたい決まり、ご近所の小父さん小母さん、ペットショップのお姉さんや工事現場のお兄さんにもすっかり顔なじみになって、「ムーちゃんお散歩?イーネー」と可愛がってもらえるようになった。またすぐ近くには、ドッグランに好適な広い公園内野球場があるのだが、夕方になるとそこに集まってくる沢山のワンちゃん仲間とそのパパやママ(飼い主)とも仲良しになった。

ムッシュは今年5歳になるから犬としてはもう立派な大人なのだが、体重2.8キロという猫並みの極小犬で童顔(?)なので、散歩の途中などで会うお爺ちゃんやお婆ちゃんも「イーコデチュネー」などと幼児語で話しかけてくる。本犬はどう思っているのだろうか。
2~3日前のことだったが、散歩中いつものようにムッシュは、サツキの植え込みが長く続く歩道で、マーキングのために数歩進んではまた立ち止まるという体勢に入った。きりがないので、前方を向いたまま「さあ、もう帰ろう」と言いながら、踏ん張るムッシュのリードを引っ張ると、間髪を入れず「ヤダ!」と答えるではないか。(ン!そんな!ムッシュがしゃべるわけはないだろう!)と振り返ると、そこには、買い物帰りの自転車からわざわざ降りて立ち止まり、ニコニコしながら「モットアチョブ(遊ぶ)!」と犬の気もちになり切って話しをしてくれている、優しそうな眼鏡の小母さんがいた。

その小母さんは、私の顔を見るとやや照れて、恥ずかしそうに「バイバイ」と言い、また自転車に跨り走り去って行った。早いもので、ムッシュが来てからもうすぐ1年になる。

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2006年2月22日 (水)

ダイレクトメール応援歌

近頃、受け取るダイレクトメールの数と種類がめっきり少なくなった。これは、自宅と事務所のアドレスを一本化し、加入している国内・海外のクラブや団体も極力整理して、金融機関などの取引先も必要最小限に絞り込むようにしたからだろうし、また、マーケティング・コミュニケーション・メディアとしてのダイレクトメールが、手間とコストがかかると、他のメディアにくらべて敬遠されがちになっていることもあるのだろう。

その代わりに増えているのが電話とEメール。発信する方にとっては手っ取り早くて何かと都合が良いからだろうが、その方法と内容に“何だかナー”と感じさせられることが多い。個人的に腹が立ったり、うんざりさせられたりするだけでなく、“もっと上手く段取りしなきゃダメでしょう?”“そんな言い方じゃあ話を聞いてもらえないよ”などと、つい説教を垂れたくなってしまうことも再々だ。もっとも、余計なお世話なので、ホントにそうしたことはないが。
どこが下手でダメかというと、伝えようとしているらしいメッセージの内容や語り口もさることながら、電話やEメールだけでは無理がある状況にもかかわらず、何とかそれだけで目的を達しようとしている点だ。つまり、電話以前の伏線というものがあるはずなのにそれを考慮していない、情報の量と質を考えず何でもEメールで済まそうと考えている、といったことである。

かつてはダイレクトメールがそのような言われ方をしたこともあったが、今ではその座を電話やEメールに譲った感がある。他人の屋内のプライベートな道具の中に無遠慮に、あるいは勝手に入り込んで来ずに、郵便受けの中で大人しく開封されるのを待っている分、ダイレクトメールにはまだ可愛気があり、時間のある時には読んでやろうかという気にもなってしまう。また、人間とはどうしても、手に取れないバーチャルなものよりも少しでもリアルに近いものの方を信じたくなるものだが、電話・Eメールとくらべてみると、ダイレクトメールでなければ伝わらないことがあるのを、改めて認識させられる。

いまインターネットが、最先端のコミュニケーション・メディアとしてもてはやされているが、いかにインターネットでも、それ単独でマーケティングのあらゆる局面での目的を完全に達するのは難しい。これは、このマルチメディア時代の常識だ。もちろん他のメディアも同じことで、それぞれのメディアには特性とそれに見合った役割があり、それを的確に組み合わせた時に最大のコミュニケーション効果が生まれるのだと思う。
その中でダイレクトメールは、アナログ・メディアでありながら構成物としてデジタル記録メディアを取り入れることによって、デジタル通信チャネルにリンクし双方の架け橋となり、コミュニケーション効果を飛躍・拡幅させるための重要な役割を果たすことができるという、それ自体マルチメディア的な特性を内包している。そして表現上の創造的可能性も、他のメディアとくらべるとずっと幅があり奥が深い。だから、コストと手間は確かにかかるかも知れないが、正しく使えば結果もそれだけのものが得られる。 
ダイレクトメールは、多数いてもポテンシャルの低い外部見込客などに向けてではなく、少数でも付加価値の高い自社顧客や企業向けなどのマーケティングで、量的な認知・販促効果ではなく質的な継続・反復効果を目的とし、プロセスの前座ではなくて真打的役どころで、目いっぱい意匠を凝らして登場させれば、思わず客を唸らせ魅きつけて離さない力を発揮する。ダイレクトメールには、そういうことを期待し評価すべきなのだ。

と、そこまで声高らかに応援歌を歌い上げたが、日本のダイレクトメールのコミュニケーション・スキルの現状が、実態としてそれに相応しいレベルにあるかと問われると、ちょっと心許ない。自分の手もとにある、航空会社、旅行会社、保険会社、クレジットカード、ビジネス雑誌、自動車ディーラーなどのダイレクトメール・パッケージを見る限り、どれも、感心させられるような魅力からは程遠い。残念ながら、半世紀近く前に自分が関わりはじめた頃のそれと比べても、見た目は兎も角、本質は少しも進歩していない。それどころか退化の兆候さえある。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たるとさまざまなサイズ・内容の印刷物を何でも構わずゴチャゴチャに詰め合わせたもの、単にチラシやカタログを封筒に入れただけのメッセージ(つまりレター)を伴わないもの、広告するだけで返信メカニズムが欠けているものなどは、コミュニケーション・スキル以前だが、一見小ぎれいにまとまってはいても訴求対象と情報としての本質に迫りきれていないもの、フラットな定型郵便物という先入観から抜け切れない没個性的なもの、ブローシャー(商品パンフレット)だけに力が入ってレターや外封筒がお座なりにされているものなども、明らかにスキル不足ないしは感違いだ。

ダイレクトメールはレスポンス広告と並んで、これからのインタラクティブマーケティング・クリエーティブの基本。ここからマーケティングの道を歩み始めたものとしては、ぜひ、世のクリエーターに本気で勉強してもらいたいし、自分も何とかその力になりたいと思っている。幸い、そんな日頃の思いを語り伝えることができそうな機会が近々訪れるかも知れないので楽しみだ。計画が具体的になったらまたここで書くことにしよう。

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2006年2月14日 (火)

八ヶ岳の冬

トリノ冬季オリンピックが始まった。真夜中や未明に寝ないでテレビにかぶりついているわけではなく、ニュースや特集番組などで見ているだけだが、アルペン競技の会場になっているセストリエールのゲレンデとその向うのアルプスの峰々のパノラマチックな光景が、我が山荘のほど近くにあるスキー場(サンメドウズ大泉・清里スキー場)とその背後の八ヶ岳連峰に似ているなとフト感じ、冬の清里に思いを馳せた。

山荘を建てて17年になるが、なにしろ標高1400メートルの高地なので平地との気温差は10度以上、冬の寒さは半端ではなく(特に今年は思いやられる)、床暖房や暖炉もあるものの、まるまる一冬を向うで過ごしたことはない。それでも最初の数年は、クリスマスや正月を家族そろって山荘で迎えスキーを楽しんだりしたことがあったが、子供たちがみな家を離れ小犬一匹と夫婦二人になった今は、億劫でなかなか出かける気になれない。
スキー場は山荘から車で10分もかからないところにあるので、身体が言うことを聞くうちにできるだけ何回も行っておこうと毎年のように話し合うのだが、実際にはここ何年もご無沙汰している。このところ冬の山荘は専らクローズしており、気温が氷点下まで下がる冬季は水周りの凍結防止のため、いわゆる“水抜き”をして帰ってくるので、また行って使うためにいちいちリセットするのがだんだん面倒になってきたのだ。

実は、スキーを始めたのは50代になってからで、10年前ぐらいまではそれでも元気一杯、周りから無理はしなさんなと言われながら毎冬滑っていたものだが、こんな弱音を吐くようになったのは、もはや気力・体力の限界か。上手く行けば4月になっても雪が残っていることもあるので、春が来て山荘をオープンする頃にでもと願っているがどうなるか。
雪と言えば、山荘の所在する森の管理センターによれば、今年は例年になく雪が少ないという。12月からの記録を見ても、10センチ積もったのが1回(この時は関東南部も大雪)で、あとは数回2~3センチ積もっただけである。事実、センターのホームページを通じて定点カメラからのライブ画像を見ても、雪がかすかに白く見えるのは、建物の陰の陽の当たらない個所ぐらいだ。

八ヶ岳南麓は本来、降雪が少ないのだそうだが、10年以上前の大雪(と言っても20~30センチが2回)の時にはいささか苦労した。3月になってからのことだったので、まさかと思って出かけたが、管理センターによる除雪は家の前の道路までで敷地内は一面積もったまま、家内と二人で汗だくになって、やっと車を入れる最小限のスペースを空けた。オフロード車でいつもスコップを積んでいたから良かったようなものの、そうでなければ目の前まで来て戻るほかなかった。それにつけても、今冬の豪雪各地の大変さが偲ばれる。

清里というところは、夏をピークとして春から秋にかけては様々なカントリーライクなイベントが催され、多くの人出で賑わうのだが、この季節に訪れているのはスキー客ぐらいのもので、オープンしているカフェやレストランもそう多くない。中には、冬季は木工職人やスキー・コーチに早変りする店主もいるくらいだ。
山荘の庭もまだひっそりと静まり返って、倒木の洞穴ではリスやヤマネが冬眠中だろう。厚い毛皮を着た野うさぎや狐だけが、雪の上に点々と足跡をつけて餌さ探しに歩き回っているかも知れない。でも、“冬来たりなば春遠からじ”とか、分厚く降り積もった腐葉土の下では、もう蕗のとうが頭を出す準備をしているはずである。

山荘開きはいつも3月末頃だが、クローズの時に十分念を入れて水抜きした積りでもどこかしら見落としがあって、凍結で蛇口が破裂したり、ボイラーから熱湯が出ないなどということも再三ある。何年経っても、その年初めて山荘に向う際には常に不安がつきまとう。と、何だかんだ言っているうちにあと1ヶ月ちょっとでその時期になる。今年は果たして大丈夫だろうか。
ここ横浜の家の庭にも今冬は何度も霜柱が立ち、寒い寒いとぼやくことが多かったが、このところ枯れ芝に青い芽がまじるようになり、梅の小枝が角ぐみ、木蓮のつぼみも膨らんできた。すぐそことまでは行かないが、着実に春は近づいてきているようだ。

2月は短い。トリノ・オリンピックが終ると間もなく3月。新たな春からまた次の冬を迎えるまで、時々清里の山荘を訪れては、このブログから八ヶ岳高原の季節感を発信しよう。

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2006年2月 8日 (水)

小澤征爾とプレジャー・プログラミング

2月2日のインターネットや新聞で、ウィーン国立歌劇場の音楽監督、小澤征爾(親交があるわけでもないので敬称略)が体調を崩して緊急入院し、長期療養の見込みのため年内の一切の活動がキャンセルになることを知った。今夏は、2002年7月に聴きに行ったボストン郊外タングルウッドでのボストン・シンフォニーお別れコンサート以来、久し振りに、サイトウ・キネン・フェスティバル松本でも聴きに行こうかと家内と話していたところだったので、まことに残念――というよりは、大事でなければ良いがと心配だ。

特に熱烈な小澤ファンというわけではなく、クラッシック音楽にうるさい方でもないが、昭和二桁前半の同世代(彼の方が2つ年上)で、その自由なものの考え方、インターナショナルな感覚、前向きでエネルギッシュな活動、次世代の育成と草の根的音楽啓蒙への献身という姿勢には、大いに共感するものがあって、僭越ながら密かに自分を重ねさせてもらってきた。
ウィーンのニューイヤー・コンサートで颯爽と大オーケストラを指揮する燕尾服姿のマエストロ・オザワではなくて、日本の片田舎の公民館で子供や地域住民のため気軽に誰でもよく知っているような曲のタクトを振っている小澤先生や、練習場でスノビッシュな外国人オーケストラ・メンバーを相手にポロシャツを汗まみれにしながら自己流の英語で熱っぽくコミュニケーションしているセイジが好きなのだ。

彼には、クラシック音楽家には(ファンにも)よくありがちな、“クラシックにあらずんば音楽にあらず”といった偏見のないところがいい。タングルウッドの前年のボストン・シンフォニー・ホールでのオフィシャル・ラスト・コンサートも、チケットまで購入していながら直前に例の9.11事件が発生し、やむなくキャンセルせざるを得なかったことなどもあって、“生オザワ”は数えるほどしか知らないのだが、彼の気さくな語り口からは、“楽しければそれでいいじゃないか”という音楽の真髄が率直に伝わってくる気がする。事実、彼の非公式なコンサートの演目にその証しを見てとれると思うのは、自分だけの勝手な解釈だろうか。

自分も、音楽とは“音を楽しむ”と書くぐらいだから、美しい音楽、楽しい音楽には、クラシックもポピュラーも、高級も大衆的もなく、由来や形式・体系にあてはめてジャンル分けし、それぞれ異なった接し方をする必要はないと思っている。いや、そんな理屈よりも感覚として、自分にとっては、ドボルザークの交響曲「新世界より」の第二楽章も、ジョン・デンバーの「カントリー・ロード」も、千昌夫が唄う「北国の春」も、目をつむって聴いたり口ずさんだりしていると、国籍の違いを越えて同じように懐かしいふるさとの原風景が浮かび、思わずジーンときてしまうということだ。

この感覚は、もともと自分の中にあったような気がするが、後年、仕事を通じてはっきりと意識するようになる。実は、マーケターとしての第一線にいた頃のある時期、商品開発にも深く関わって、特にレコードやテープによる音楽アルバムの制作・編集というプロデューサーまがいの仕事を任されていたが、そこでアーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団(小澤が常任指揮者だったボストン交響楽団のピックアップ・メンバー)の選曲・演奏による30センチLP10枚組のアルバムの日本発売版をプロデュースしたのがきっかけだった。そこでは、一枚一枚に、クラシックの名曲と、ジャズのスタンダード、ミュージカルや映画のヒット曲、そしてビートルズ・ナンバーまでが、何の違和感もなく混然とカップリングされており、聴いていて“これだ”と思った。
幸い大ヒットさせることができて、記念に来日したフィードラーとも直接話をする機会を得たが、そのような“教条主義的でない”演目編成は、“聴き手のシチュエーション”を最優先する「プレジャー・プログラミング」という考え方であることを知り、それ以来手がけた10を越えるアルバムでも、ずっとこの考え方を貫いた。

個人的にも自分は、小澤征爾やカラヤン、バーンスタインなどだけでなく、レイ・チャールズ、ビートルズ、バカラック、そして美空ひばり、越路吹雪、桑田圭祐なども広く愛聴し、プレジャー・プログラミングしている。理屈抜きに、魅力的なものは魅力的なのだ。
ちなみに私のカラオケ・レパートリーは、ジャズ、カントリー&ウエスタン、ハワイアンから、シャンソン、ラテン、歌謡曲、ど演歌にまで及ぶ(って、これはちょっと意味が違うか)。

小澤征爾入院から、とんだところまで話しが脱線してしまったが、音楽についての私論は別として、一日も早い彼の回復を祈りたい。我々世代は、彼の生き様からロマンと元気をもらっていたのだから。

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2006年2月 1日 (水)

メルマガとは何ぞや?

仕事柄、Eメールにはたいへん恩恵を受けている。依頼を受けた案件についての質疑や確認、打ち合わせの日時・場所の取り決めなどはもちろん、特に、執筆した原稿の送稿には、ファイル添付という機能のあるEメールほど便利なものはない。執筆活動に本格的に身を入れるようになった頃からパソコンを使い始め、追いかけてインターネットが普及してきたお蔭で本当に助かっている。でも、実を言うとまだ、ペンを握って紙に向っている時の方が、スクリーンを睨んでキーボードにタッチしている時よりも、頭の中で考えたことがそのまま指先に伝わってくる気がする。やはり、根本的にアナログ人間なのだろう。

個人的にはそんな欠かせぬ存在になっているEメールなのだが、企業が商業目的で送ってくるEメールには、いささか疑問がある。広告メールと総称され、本来いろいろなタイプがあるが、ここで言っているのは、いわゆる“メルマガ”のことだ。
ここ2~3年、仕事上だけでなく個人生活上でもかなり活動範囲を狭めてきている積りだが、それでも、何らかの関係にある国内・国外の企業や団体から送られてくる定期的なEメール(すなわちメルマガ)は20を下らない。使用しているコンピューターのソフトおよびハードのメーカー、加入しているインターネットのプロバイダー、会員になっているクレジットカードやマイレッジカード、所属している業界団体、仕事で関係のあるマーケティング・サービス会社や出版社、契約している保険会社、そして書籍その他を購入したことのあるオンライン・ショップなどから、「○○マガ」「××マガ」「△△マガ」と称するEメールが連日のように送られてくる。
インターネット・マーケティングについて書いたり語ったりしている手前、参考のため一応、どんなメルマガも必ずチェック・観察させていただくことにしているが、毎日すべてをまともに読んでいたらそれだけで半日はかかってしまうので、まず見出しとトップページを一瞥して、もう少し読み進めようかと思うものとそうでないものを峻別してしまう。これだと、そんなに時間がかからない。幸か不幸かその中に、興味をそそられ、読んでみようと思うものが、正直言って極めて少ないからだ。

読みたくならないものは、次のどちらかの理由に当てはまる。一つは、そのコンテンツが的外れなもの。企業が自分の一方的な都合で知らせたいこと、売りたいものの情報を送ってくるだけで、受け手のプロファイルや関心レベルに無頓着なのである。読者である自分に対して“パーソナライズ”していないということだ。私はインターネットを使っているからといって別にITオタクではないので、やたらバージョンアップだ新製品だと言ってこられてもチンプンカンプンで面倒くさいだけだし、美しいボディーを追求しているわけでもないので、ヌーブラやエステをトップページで勧められても困る。
もう一つは、情報の量と種類とその提示のし方。インターネットは情報量に制限がないからといって、数打ちゃ当たるとあらゆることを盛り沢山に入れ込むのはいただけない。チラシやカタログの感覚をそのままネットに持ち込んで情報をギュウギュウ詰めにし、その上“リンク”というインターネットの特性をやたらと使っているのは見た目にうるさい。チラシもカタログも、印刷メディアである故の物理的特性が有効に作用するわけで、それが限度あるサイズのバーチャルなスクリーン上でもそのまま通用するわけではない。折角手をかけ画像をふんだんに入れたHTMLのメールをつくっても、あれもこれもと訴求するとどれにも目が行かなくなるし、誰が始めたか日本的メルマガ独特のレイアウトで、箇条書きとリンクの青文字が記事とは言い難いかたちで並ぶシンプルテキスト・メールもうんざりだ。訴求したいポイントは絞り込まなければ伝わらないと思いますよ。

自分でもその言葉を使っていながら何だが、そもそも“メルマガ”とは何ぞや?メールマガジンの略であることぐらいはわかるが、Eメールの本家アメリカの用語辞典を見てもどこにも載っていない(英語の意味としても変だから当然だ)。e-Zineはあるが、ちょっとニュアンスも実態も違う。独断するに恐らく、“e-ニューズレター”を日本流に焼き直したのではないか。その際、言葉だけにしておいてくれればよかったのだが、概念や目的まで翻案してしまったようだ。ニューズレターは本来、見込み客を顧客化・メンバー化するため“対象を個として意識”しつつ“送り届ける”重要な“マーケティング・ツール”だったはずだが、メルマガとなって、ストレートな販売や一方的な企業情報告知をするための、“対象を必ずしも個として意識せず”に“配信”する、“広告ツール”になったようだ。

思わず独りで力んでしまったが、この話は、自分のインターネット生活における個人的感想というだけではなく、企業のマーケティングでEメールをどのように位置づけ活用すべきかという問題に行き着くと思う。一度、改まった場で、いろいろな方の見解を聴きたいものだ。

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