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2006年1月

2006年1月23日 (月)

古い写真

いまCDで、大学時代の級友写真集をつくっている。級友有志から在学中の古い紙焼き写真を貸し出してもらって、スキャナーで読み込みデジタル化し、アルバムに編集してCDに複製、全員に配ろうというのだ。もちろん、このプロセスすべてを自分でこなせるわけではなく、原画像を点検し、何らかのコンセプトに基づいた配列・構成を考え、原稿代わりの編成表をつくり、それに合わせて写真を揃えデジ・プリント屋さんに作業を委託するのだが、150枚近くも集まった写真を何とか100枚以下に絞ったものの、ここまでの作業だけでもけっこう時間を費やした。さらに、それぞれの写真上の級友名を確認し、写真説明を書くのがまた一仕事だったが、やっと、複製CDの上がりを待って、受け取ったら発送すればよいというところまで漕ぎ着けた。

実は我がクラスは、卒業後4~5年目くらいから、途中何回か欠けたことはあっても、もう40年以上、毎年クラス会を続けている。年々先が短くなって行く中、若い頃を振り返り元気を出そうぜということで古い写真を持ち寄り見せ合っているうちに、アルバムをつくろうかという話になり、昨年度の幹事だった自分がそのプロデューサー役を引き受ける破目になってしまった(言い出しっぺで、好きでやっているという説もあるが)。

この作業は楽ではなかったが、意外に楽しくもあった。まだスリムで顔つきも若々しく髪も黒々ふさふさとしていた級友たち、早慶戦や早稲田祭や学生運動等々、あの時代の貌が写し取られている一枚一枚を眺めているうちに、恥ずかしくも懐かしい青春の日々がよみがえった。高校では硬式野球部に所属するガチガチの体育会系だったのに、その反動か、大学に入ってから最も夢中になったのは音楽だった。それもクラシックではなく、当時は“ジャズ”という言葉で一括りにされていたポピュラー・ミュージック。特に好んで聴きまくり唄い真似ていたのは、軟弱なシャンソン、タンゴ、そしてお気楽なカントリーウエスタン、ハワイアンなどだった。法学部だったにもかかわらず何故か語学の授業だけには熱心で、第2外国語にフランス語を選んだのも、ただ、シャンソンを原語で唄えると恰好が良いのではないかという、ごくレベルの低い動機からだった。

もちろんアルバイトをしなければやってゆけない貧乏学生のこと、レコード(当時は1分間78回転裏表で2曲収録のSP、45回転で2曲または4曲収録のEPしかなかった)を好きなように買える余裕もなく、せめてもと楽譜集を買ってきて、田舎から持ってきた古い真空管ラジオ(これがまたNHK以外はクリアに聴取できないという時代物)から流れる音楽番組に夢中で聞き入っていた。テレビは一般家庭ではまだ高嶺の花で、音楽番組はおろか、バラエティ番組もまだほとんど存在しなかった時代のことである。

あの頃よく聴いていたラジオ番組に、「ペトリ・ミュージック・スナップ」とか「トリス・ジャズゲーム」があった。前者は洋盤のディスクジョッキーで、後者は日本のジャズ・ミュージシャンのライブショー。粋な雰囲気のスタンダード・ナンバーのヴォーカルと演奏に、聴きながら夢中でスゥイングしていた。「トリス」は今も存続しているウイスキーのブランドだが、「ペトリ」が戦前からの人気カメラ・ブランドだったことを知っている人は、もう数少ないだろう。

他にも、ポップス・ヒットパレード的な番組に「S盤アワー」と「L盤アワー」があった。前者のテーマ、ペレス・プラード楽団の「エル・マンボ」と、後者のパーシー・フェイス楽団による「シンシアのワルツ」を思い出す。マニアックに聴き込んでいた番組は「これがタンゴだ」と「パリの街角」だった。タンゴのように歯切れの良い高山正彦氏のイントロ・ナレーションと、訥々とした葦原英了氏のシャンソン解説は、今も、物真似できるほど耳にこびりついている。

たまには、なけなしの小遣いをはたき、銀座の「テネシー」、新宿の「ラセーヌ」、そして銀座にも新宿にもあった「ACB」(アシベと読む)などに足を運んで、人気歌手・バンドのナマ歌・ナマ演奏を聴いた。若い人は知らないかもしれないがオールド・ボーイにとってはたまらなく懐かしい、「ハナ肇とクレージーキャッツ」や「寺本圭一とカントリージェントルメン」そして「バッキー白片とアロハハワイアンズ」などが人気盛んだった頃で、今では大御所の美輪明宏は、まだ、丸山眞吾という美青年の新人シャンソン歌手だった。

自分たちが在学中の早稲田祭にも、ミュージシャン、落語家など多彩な人々が出演してくれ、前出のクレージーやアロハハワイアンズをはじめ、シャンソンの石井好子、まだ二つ目だった故・古今亭志ん朝などのライブを楽しむことができた(もちろん無料です)。思えば、いつもお腹が空いていて貧しかったが、良い時代だった。

おっと、作業の手を止めボーッと半世紀近く前の回想にふけっているところに、デジ・プリント屋さんから「CD50枚の複製が上がりました」という連絡が入った。これからそれを受け取ってきて、級友の宛名を打ち出し、説明書と共に封入して発送だ。クラス会に顔を見せる級友は最近ではいつも20人前後だが、連絡のとれる46人全員と、故人3人のご家族にも送るつもりだ。

これが終ると、一つ肩の荷が下りる気がする。

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2006年1月17日 (火)

ダイレクトの力

企業に所属しフルタイムで仕事をしていた時は、新年度の抱負というものは予め前年の秋頃には決めておかなければならなかったが、一人で仕事をするようになってからは、誰かにそれを発表する責任があるわけではなし、気楽なもの。さて今年は...と考えるのは、実際に年が明けてからだ。本の出版を控え最終校正などでシャカリキになっていた昨年の正月とは違い今年は程よい余裕があったので、何に取り組むか決める前に、昨年末からたまっていた内外の情報誌やEニューズレターに集中して目を通した。そこで感じ、考えたことを、ひとつふたつ。

やや時期遅れの話題になるかもしれないが、DMA(米国ダイレクトマーケティング協会)は昨年10月の年次大会から、“Power of Direct ----Relevance, Responsibility, Result”というスローガンを掲げている。日本の業界誌などではこれを、“ダイレクトの力――適切・責任・結果”という抽象的な言葉に翻訳しているが、私は勝手に、もうちょっと深読みをしている。“パワー”と言っているからには、これらは、「問題を見極め適切に対応できる能力」、「義務・責任を履行できる能力」、「成果・効果を明確にすることができる能力」と解釈できるのではないかと。
 これらはとりもなおさず、ダイレクトであるとないとを問わずマーケティングすべてにおいて求められる必然的な要素だと思うが、“ダイレクトであることこそがそれに最も寄与する力になる”というのがDMAの主張だろう。
自分も昨年来からの著作や寄稿や講演の中で、「顧客中心・情報化というダイレクトマーケティングの基本原理の実践が今日のあらゆる企業のマーケティングには不可欠」、「ダイレクトマーケティングこそ時代を牽引するキー・ビジネスシステム」などと言い続け、ダイレクトマーケティングを巨視的かつ汎業種・業態的にとらえることを主張してきた。牽強付会になるかも知れないが、その意味でこのDMAの宣言は、我が意を得た気がする。

マーケティング・ジャーナリズム的な見方からすると、「ダイレクトマーケティング」という呼称にはもはや新鮮な魅力がないらしい。あれだけ喧伝された「CRM」にしてからがそうだ。人によっては“もう死んでしまった”との極論もある。だが私はそうは思わない。新世代のマーケティングは、ダイレクトマーケティングのDNAなしには成り立たないし、たとえそれを何と呼ぼうと、ダイレクトマーケティングという原理とシステムは、その中での重要性を増し続けるだろう。
だから私は、それを何か新しい概念でもあるかのように言い立てたり、受けを狙った新しいネーミングで呼んだりすることはせず、ともあれ市民権を得ているダイレクトマーケティングというビジネス用語に基づいて、「ダイレクト・リレーションシップ・マーケティング」とか、「マクロ・ダイレクトマーケティング」と呼んでいる。もし真にピッタリした新しい名前があるとすれば、それは実態に基づいて後からついてくるだろう。
 
本題の前置きが長くなってしまったが、今年取り組みたいと思ったのは、ソフトカバーすなわち新書版くらいのダイレクトマーケティング書の執筆だ。呼称や解釈はどうあれ、DMAのスローガンに掲げられたようなダイレクトマーケティングの要素を取り入れないマーケティングは今後あり得ないだろうし、学生も含めた広い裾野を構成するこれからのマーケターに、ぜひ、それについての正しい認識・知識を得るための基本書を読んでもらいたいと考えたからである。

昨年の「体系ダイレクトマーケティング」の最初の4分の1くらいは、実はそのつもりで書いたのだが、結果として全体で470ページ、4,200円の大冊になり、個人用には手が出にくいものになってしまった。日本ダイレクトマーケティング学会賞をいただいた際のパーティーでも、上智大学の田中先生や早稲田大学の亀井先生をはじめ諸先生方から、学生の教科書用としては、価格千円を切る新書版くらいが望ましいというアドバイスを受けた。
意欲をそそられるテーマである。単なる版型の置き換えではなく、それをベースにはするが新しい情報・知見も加えもう一度書き直してみたい。1年半パソコンを叩き過ぎて腱鞘炎になり、まだ治ってもおらずイテテテと苦しんでいるというのに、何と因果な性分かと我ながら思う。出版社も何も、考えても決めてもいるわけではないが、ここで宣言してしまったからには、もう引っ込みがつかない。えーい“ダイレクトの力”だ(意味不明)。こうなったら、「体系ダイレクトマーケティング」は1社に1冊を期待して、新書版はマーケター1人に1冊を目指すゾ!

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2006年1月 9日 (月)

遅まきながら、明けましておめでとうございます

遅まきながら、明けましておめでとうございます。本日、私、ブログ・デビューです。

恒例の年頭行事に出かけたり、昨年中途にしていたことの取りまとめをしているうちに、年が明けてもう1週間以上経ってしまった。世間の仕事始めはもうとっくにスタートしているのに、2006年における私の仕事始めは、やっと今週からだ。すみません。

恒例の年頭行事とは“ダブル初詣”のこと。実はここ20年以上、元日と三日か四日に、二重に初詣をしている。元日(正確には大晦日から1月1日にかけて)は、自宅から四軒目、歩いて1分足らずのところにある御嶽神社という地元の神様に、三日か四日には川崎大師に詣でているのだ。
頬に熱い焚き火の炎が真っ暗な夜空と樹齢百年以上の鎮守の森に映え、参拝客に振舞われる甘酒が腹の中から温めてくれる御嶽神社。たこ焼き、いか焼き、焼き鳥、ソース焼きそば、アメリカンドッグなどの屋台がギッシリと参道に立ち並び、トトトントトトンという小気味良いリズムの飴を刻む音に新年の賑わいを感じさせられる川崎大師。どちらにも、それぞれの風情と味わいがあって、この両方に詣でないとどうにも気分が改まらない。どちらか片方だけでも良いでしょうにと人には言われるのだが、ここまで来るともう、何か理由無しには止められない。身体が言うことをきく限り続けるつもりでいる。今年の三が日の初詣は史上最高の人出だったというが、4日昼過ぎの川崎大師は例年よりずっと混雑の度合が少なく、境内入り口の大山門までは行列で待たずに行けた。順番を待つために並んだのは境内に入ってから30分位か、完全武装はして行ったものの決して寒さがこたえないわけではないけれど、こうやって元気にこの場に居られるのは有難いことだと、毎年のように思う。

お賽銭を上げ、独立した子供たちを含めた家族一同(今年からはワンちゃん一匹も)の無事平穏を祈って、各種の御札と御守りを頂き、山門横の住吉本店でおみやげの葛餅を買い求め、帰途の参道沿いの店で熱い稲庭うどんを食するというのが、私の例年のコースだが、うどん屋の手前で、バッタリ、私が顧問をしているT社のマーケティング部門の前責任者で昨年末に退職したY君に会った。職業紹介の新事業を起こすと聞いていたが、そのパートナー達と一緒だった。頑張れ、成功を祈る。

うどん屋で、いささかムッとくることがあった。参道の人出と同様ここも、例年とくらべたらガラ空きで、すわり心地と眺めの良い窓辺のテーブル席もいくらでも空いていたのに、いきなり“こちらにどうぞ”と、狭苦しいコの字型カウンター席に座らされた。先客は3人、単独客のオヤジばかりが顔を見合わせるかたちになって、お互い気まずい雰囲気。窓際の4人掛けの席には若いお姉さんが一人で座っているのに、なぜオヤジを差別する!
いつも通り薄味のつゆが美味しかったのでやや機嫌を直し、最後の一すすりの前の一呼吸で器をカウンターに置いたら、そのとたんサッと横から手が出て、“お下げします”の声と共に目の前からそれが消えて無くなった――オイオイ。その日は、混雑して食器の回転を早めなければならないわけでもなかったはずだから、そうまで急かさなくとも良さそうなものにと、また腹が立った。
これは、立地の良さで一見の客がいくらでも来店するため大事なのは客の回転効率だと思い込んでしまった、門前町や観光地特有の悪しき接客方針だ。それが20年以上も贔屓にしている(1年1回しか来ないのだから覚えているわけは勿論ないだろうが)客に対する仕打ちかと、店主に文句の一つも言おうかと思ったが、どうせあたしゃあフリの客、たかがうどん一杯で正月早々そこまでするのも大人気ないと思って黙って店を出た。だが、来年からはもう寄るのを止める。

そんなことがあっての帰りの道すがら、フト考えた。参道のうどん屋に限らず大・中の企業が、エンドユーザーの心理を読めないまま効率本位で利益追求のみに走り、大きな問題を引き起こし顧客を失う結果を招いたケースが、昨年も決して少なくなかったナということを。今年はどちら様も、その商売道の根本のところに気付いてくれれば良いのだが。それがマーケティングというものでしょう。

ところで何を隠そう、1月10日は私の誕生日。自分ではそんなに齢を重ねた積りはなかったが、嫌でもあと1年で“古稀”なるものに手が届くところまで来てしまった。しかし、自分でやりたいこと、自分がやるべきことはまだ山ほどあって、幸か不幸か、なかなか悠々自適の境地になり切れない。さて明日からは、本格的に仕事モードに入るぞ。

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